昨年10月13日未明の千曲川の決壊により「赤沼きのこセンター」が浸水

鍋物や肉料理の付け合わせに欠かせないきのこ。最近は脇役のイメージを覆し、健康食材として主役級の注目を集めている。その動きにひと役買っているのがきのこ総合企業のホクト(長野県長野市、水野雅義社長)だ。CMソングやキャラクターデザインによるプロモーションできのこ人気に火をつけた。

研究・開発から生産、販売までの一貫体制を構築し、出荷量は1日約250 万パック、中でもエリンギは国内市場で50%近いシェアを持つ。そのうち約6分の1を生産する長野市の赤沼きのこセンターが稼働停止に追い込まれたのは昨年10 月。令和元年東日本台風(台風19 号)による千曲川の洪水で、培養・生育中のエリンギとともに工場機能が壊滅した。

生産を再開し6月15日に出荷を果たすまで約8カ月。その間、どのようなBCP 対応を行ったのか、丸山幸一総務部長、宮下尚武社長室長、前田哲志広報・IR 室長に聞いた。(※本文の内容は7月21日取材時点の情報にもとづいています)

ホクト
長野県長野市

まさか千曲川が決壊するとは

―― 水害の発生をあらかじめ予測していましたか。
前田哲志広報・IR室長(以下、敬称略)
 さまざまな災害に見舞われる都度、BCPは見直してきました。しかし、さすがに工場の水没は想定していなかった。長野市で千曲川が決壊するとは、想像していませんでした。

宮下尚武社長室長(以下、敬称略) BCPが想定するリスクには、水害も含まれていました。しかし、地震は震度5強以上という規定の仕方をしていますが、水害はそこまで明確に規定していませんでした。

丸山幸一総務部長(以下、敬称略) 地震に目がいっていたのは事実。まさか堤防が切れるとは、という思いが正直なところです。

―― BCPは組織体制の中でどう位置付けられているのですか。またいつ頃策定しましたか。
宮下
 平時は、社長はじめ主要幹部で構成するリスク管理委員会を定期開催しています。同委員会は災害に限らず経営上のさまざまなリスクを所管していますが、地震や水害が発生するとBCPが発動、社長を本部長とする対策本部が動き出します。事務局を担当するのが総務部です。

丸山 BCPの必要性がいわれ始めたのは東日本大震災以降。それ以前も何度か地震に見舞われましたが、その都度、現場で対応してきました。3.11以降は会社として文書化する取り組みが動き出し、最初は災害対策マニュアル程度でしたが、徐々に肉付けをして今に至っています。

従業員の被災と応援人員をホワイトボードで

―― 台風19号災害の後、対策本部は立ち上がりましたか。
丸山 
立ちあがりました。10月13日未明に千曲川が決壊、赤沼きのこセンター、きのこ総合研究所シイタケ栽培技術研究棟、それにグループ会社のホクト産業豊野工場が水没したという情報で、同日朝には役員、各部門長、総務課員らが集まりました。

 

―― 初動対応の様子を教えてください。
丸山 当時、テレビ各局がJR北陸新幹線車両基地の水没を空から中継していました。良いか悪いか、当社の赤沼きのこセンターはそこから100メートルの距離。テレビを通じて現場の状況がある程度つかめました。

しかし、内部の様子など詳しいことはわからない。それぞれがあちこちに連絡すると混乱をきたすので、ホワイトボードを置き、情報の共有を図りました。第一に取り組んだのが安否確認です。

赤沼センターは本社から約2キロ。「地の利」が効いたのはよかったですね。浸水していそうな場所がだいたい分かるので、従業員の住所と照らしながら個々に連絡を取りました。携帯の安否確認アプリも使いましたが、大変な状況ですから打ち返しも時間がかかる。全員の安否が分かったのは2日後です。30人超が床下・床上浸水の被害を受けました。

宮下 赤沼センター、きのこ総合研究所、ホクト産業のそれぞれで、従業員の自宅を含めて状況を確認。復旧にあたってどこに何人の応援が必要か、そこに誰が行けるかをホワイトボード上で整理しました。

丸山 被災した社員には泥出しや清掃の応援を送り、規定にのっとって見舞金を出しました。また寮が5~6室空いていたので、急きょ電気や水道を開通させ、家族とともに入ってもらった。全員の入居は無理でしたが、近くに寮があったのはよかったと思います。