2018/05/07
安心、それが最大の敵だ

嘉納と講道館柔道
「日本武道と東洋思想」(寒川恒夫)は嘉納柔道の本質を鋭く突いている。主な論点を引用してみる。
柔道は、武道の中の他種目と比べて、特異である。それは、柔道が嘉納治五郎という特定個人によって創造されたこと、そしてその体系が近代の武道概念(つまり中世や近世の武道概論とは異なる、20世紀に西久保弘道が構想した武道概念)の形成に先導的刺激を与えたこと、またその体系が、その後、武道他種目にも取り入れられ、それぞれの近代化を導いたこと、さらに、武道の中では最初に国際スポーツ化し、その成功が他の武道それにまた韓国や中国などアジアの武術の国際化を導くモデルになったこと、こうした点において、柔道は特異なのである。
そして、もう一つ特異なのは、近代の武道他種目が疑うことなく継承した近世の精神文化を嘉納は問題にし、その排除をもくろんだことである。
維新開国が突き付けた西洋思想との格闘は、かつて日本人の唯一の思想的拠り所であった儒仏道3学の相対化を促し、そしてそこから脱却を余儀なくされた明治の知識人が等しく経験したものであった。文化のさまざまの面において進行したこうした思想的脱皮の武術における表出を、我々は嘉納の柔道に見るのである。
柔道勝負法について、嘉納は次のように述べる。「柔道勝負法では勝負と申すことを狭い意味に用いまして人を殺そうと思えば殺すことが出来、傷めようと思えば傷めることが出来、捕らえようと思えば捕らえることが出来、また向こうより自分にそのことを仕掛けて参った時こちらではよくこれを防ぐことの出来る術の訓練を申します」。つまり柔道勝負法は、それまで行われていた戦時と平時における殺傷捕縛術としての柔道のことで、敵がこう攻めてくれば、こうかわして敵を投げ、当て、蹴り、間接を取るなどして制する一連の動き(形)をマスターすることに目的が置かれていた。
そして、これを身につけるには、一方を取り、他方を受けとして、約束的に全体をなぞる練習方法が取られた。江戸時代の柔術の諸流派は、それぞれ独自の形を(現実には多くの形が名称を違えて流派間で重複していたのだが)300以上も備えているのが普通であった。嘉納は、明治という新しい時代においてもなお、柔術の護身機能を評価して、これを勝負法の名のもとに存続せしめたのである。
嘉納流・柔道体育法は、これとは180度異なる狙いをもった。「筋肉を適当に発達させること身体を壮健にすること力を強うすること身体四肢の動きを自在にすること」、つまり柔道体育法は身体全体の調和のとれた育成を目指した。この目的を達成するためにはそのような運動がよいのか。全身的な動きと適切な運動量とを保証し、そして何よりも安全でなければならない。
江戸期の柔術をいかに体育目的に再編するか、嘉納の関心はこの一点に集中する。安全を保障して体育目的で行う柔術、嘉納の柔道体育法はこういってもよいものであるが、それはもはや柔術と呼べるものではない。嘉納は、安全を確保するために様々な工夫を編み出す。関節を痛めないで投げることが出来る「重心崩(くず)し」の原理、投げられた時に衝撃を和らげるための受身、体育目的を実現するための自然体の組み方による乱取り練習法などである。もちろん、これらは、柔術においても一部の流派で実施されていたが、それさえも殺傷捕縛という最終目的に組み込まれていたのであり、嘉納の言う体育目的はベクトルのらち外にあった。
嘉納の柔道体育法の真骨頂はまさにこの安全化にあり、ここに競技化も胚胎する。講演に先立って「日本文学」誌に寄せた「柔道およびその起源」の中で嘉納は、柔術の「発達進歩」も今日的段階というニュアンスで、「かくのごとくなるときは、すでに純粋の勝負術(殺傷術)たる性質を脱し、手練の軽妙を競うてこれを愉快とするに至れるものなりというべし」と述べている。
生命のやり取りをする武術の域を出た嘉納柔道の「競技宣言」といえる内容である。柔道を科学するのである。
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