日頃の準備、柔軟な対応、責任感、存在意義、試される組織

市立輪島病院は市内唯一の総合病院

市立輪島病院(石川県輪島市、品川誠院長)は市内唯一の総合病院だ。能登半島地震では自ら被災しながらも、運び込まれる負傷者を処置し、感染症に苦しむ患者を診療し、市外の病院に送り出して命をつないだ。その後、超急性期・急性期が過ぎると医療需要は急減し、代わって、2次避難により低下した介護機能の維持が地域の深刻な課題に浮上した。1月1日の発災から4月10日の介護医療院開設まで、懸命な活動の記録を取り続けてきた同院事務部長の河﨑国幸氏に、この3カ月に何が起きたのかを聞いた。

市立輪島病院
石川県

事例のPoint

❶超急性期から急性期への対応

・職員と入院患者の安全確保、被害報告、DMATと連携した緊急医療対応など、現場の柔軟な判断と協力が臨機応変な対応とスムーズな受援につながった。

❷機能維持に重要なハードの役割

・医療機能の維持には設備・機器が欠かせないが、現実には修理着手まで2カ月半以上。迅速復旧の重要性を痛感し、解決策として規格の統一を提案する。

❸地域包括ケアの役割を担う病院

・2次避難により地域全体の介護機能が低下。福祉と地続きにある病院が地域包括ケアの中心的役割を担うべきと考え、介護医療院を3カ月足らずで開設。

発災直後の状況

1月1日午後4時過ぎ、病院に駆けつけられた職員はわずかだった。院長、副院長といった災害対策本部の統括責任者が市内におらず、事務部長の河﨑国幸氏も能登町から輪島に向かう途中で止められた。「来られる人で対応せざるを得なかった」と話す。

発災直後にたどり着けたのは、事務職員では15 人中2人。すぐ状況報告を求めたが、2度目の強い揺れで電話が寸断され、LINE でのやり取りを余儀なくされた。「入院患者と職員、施設とライフラインの報告を受けるだけで精一杯。中はメチャクチャだけれどケガ人はいないことは確認できた」。このときすでに、救急患者が運ばれてきていた。

業務継続計画では、トリアージは玄関ホールで行うよう規定されている。だが、院内は照明が垂れ下がり、壁ははく離が見られる状態。余震で崩れるおそれがあったため、現場の判断で院外の駐車場に場所を確保した。整形外科のベテラン医師をリーダーに小児科・泌尿器科・内科の医師6人と、何人かの看護師で対応にあたったという。

記録では、1日午後5時40 分時点で赤タッグが1人、黄色タッグが12人、緑タッグが10人。だが、午前0時をまわると黒タッグが目立ち始め、緑タッグはカウントできなくなってくる。2日午前2時時点では黒タッグ10人、赤タッグ7人、黄色タッグ42人、緑タッグ不明。午前10 時までには院内遺体13人となった。

院外の駐車場に場所を確保してのトリアージ
写真提供:河﨑国幸氏

夜が明けると病院に到着する職員数が増え、全体の約3割が出勤した。河﨑氏も午後6時、能登町の自宅から6時間かけて到着。その日の午前10 時にはDMAT(災害派遣医療チーム)2部隊の駆けつけが間に合い、そこから本格的に超急性期対応のフェーズに突入していった。トリアージ、医療処置、負傷者・患者の入院、転院の目まぐるしい繰り返しだ。

想定を上まわる被害

市立輪島病院は3病棟175 床、外来診療10 科を運営する市内唯一の総合病院。常勤医師16 人、看護師120 人、放射線技師7人、検査技師6人、ほか管理栄養士、リハビリ療法士らを擁し、減少する開業医をカバーする地域の「かかりつけ医」の機能も担う。災害拠点病院として防災計画・業務継続計画を策定していた。

「今回の災害の特徴は、半島先端に近い過疎地で起きたこと。でなければ、これほど被害は出なかったかもしれない。逆にいうと、半島過疎地の問題が如実にあぶり出された」と河﨑氏はいう。それは、地域内の医療資源だけでは一定規模を超える災害に太刀打ちできないこと、そして一定規模を超える災害では外部からの資源調達も困難になることだ。

防災計画・業務継続計画で想定していたのは、2007 年の能登半島地震の被害だった。このときは家屋の全半壊が合わせて約1600 棟だったが、今回は7700 棟と約5倍。市内の全家屋がおおむね1 万4000 戸なので、その半分が深刻なダメージを受けたことになる。

「これほどの災害は、仮に想定できていたとしても、市単独で打てる手は少ない。主要な対応を外部に頼らざるを得ないためです。そして今回、実際にそうなった。かつ、外部に頼ろうにも資源の調達ルートが断絶した。それがまさに半島過疎地の問題だった」

現場の判断が効いた初動対応

それでも、防災計画・業務継続計画を策定していた意味はあると河﨑氏は続ける。初動対応がそれだ。

玄関ホールの状況。 当初からDMAT 隊 との連携を密にする
写真提供:河﨑国幸氏

パニックのなか、入院患者と職員の安全を確保し、施設・設備とライフラインの被害を確かめて報告。駆けつけた医師と看護師で急造チームを編成すると、玄関ホールの状態と余震の頻度からトリアージの場所を外の駐車場に移し、モードを救急医療に切り替えて即対応を開始した。すべて現場の判断だ。

DMAT との連携もスムーズで、発災翌日に到着した先遣2部隊に指揮を任せると、指示に従って負傷者・患者のトリアージと搬送を遂行。2月4日に全部隊が撤退するまで毎日院内で災害対策本部会議を開き、力を合わせて活動した。多いときで1日20 隊80人が現場に入ったが、連携がうまくいったのは職員の協力があってこそだという。

「トリアージの場所が危ない状態になることも、DMAT が20 隊も入ってくることも、計画に盛り込んでいたことではない。ただ、被害規模こそ想定と違えども、訓練は実施していた。また災害拠点病院なので、当院の看護師にもDMAT 隊員がいる。何をすべきかわかっていたことが、結果的に臨機応変な動きとスムーズな受援につながった」