(左に見えるのがシーケー金属本社事務所)

1月1日の能登半島地震で、シーケー金属(富山県高岡市、釣谷宏行社長)の本社工場ではメッキ用の釜からこぼれた亜鉛が原因で火災が発生した。消防団の協力を得て鎮火させるとすぐに、事業再開に動き出す。復旧活動にはげむ従業員の背中を力強く押したのは、東日本大震災の被災経験をもとに策定したBCPの社員行動指針だった。

3つのポイント

❶手を抜かない消火訓練
・消火栓まで使った訓練を繰り返し実施し、習熟度を高める。

❷グループ会社で予備品情報を共有
・各社で保有する予備品をリスト化。通常業務だけでなく災害時にも活用。

❸災害対応を後押しするBCPの社員行動指針
・具体的でメッセージ性の高い指針を示すことで、従業員が活躍。

 工場から出火

メッキ処理され引き上げられる構造物。下が亜鉛メッキ釜(提供:シーケー金属)

1月1日に起きた能登半島地震で、シーケー金属では釜からこぼれたメッキ用の亜鉛により、周辺にあった大型トラックや電気配線などから火災が発生した。駆けつけた従業員と高岡市の消防団による消火活動で鎮火。すぐに復旧に向けて動き出し、9日には再稼働を果たした。

取締役でめっき事業本部長を務める加藤裕之氏は「復旧のよりどころとなったのが BCP規定に記載している社員行動指針。おかげで、次の対応まで考えて、具体的に素早く動き出せた」と振り返る。

地震発生当時、同社は年末年始の休暇中で工場も休業していた。岐阜県に帰省していた加藤氏のスマートフォンが緊急地震速報でけたたましく鳴ったのは 16 時過ぎだった。正月の酔いから起こされたという。

そしてテレビを眺めていると、16時10分ごろ、再度の緊急地震速報がテレビから発せられ、画面からは「今すぐ津波から逃げてください」とのアナウンスが流れた。能登地方は震度6強を表示していた。

加藤氏はすぐにスマートフォンから工場内に設置しているWebカメラで状況を確認。画面に映っていたのは立ち上る煙だった。そして、高岡市内にいる副工場長に電話し、急ぎ向かうように指示。

続いて、管理職に煙発生の電話報告をしていった。工場の煙を現場で最初に確認したのは、近所に住む、グループ会社であるサンエツ金属の役員だった。過去にシーケー金属の勤務経験があり、休業中の工場では出るはずもない煙が見えたために駆けつけていた。直後に副工場長も到着し、加藤氏へ火災発生を連絡。その後、2人で消火活動を開始した。

燃えていたのは大型トラックと電気設備など。地震の揺れで釜からこぼれたメッキ用の亜鉛に接触し、火災が発生していた。金属などの表面を薄く覆うメッキ用の亜鉛は、工場が休業中とはいえ、溶かした状態を維持しなくてはならない。

釜は約440℃で保温されていた。この亜鉛釜のサイズは幅2.1m、長さ12.5m、深さ2.8mで500トンほどの亜鉛が溶けていた。ふたで覆っていたが、あくまで保温用でこぼれを防げなかった。

消火活動では、当初使っていた消火器では不十分と判断し、消火栓に切り替えて対応。煙を見て、周辺に待機していた高岡市消防団の二上(ふたがみ)分団の助けも借りた。トラックは16時33分、電気設備は 16 時 47 分に鎮火した。

「消火栓までを使って毎年訓練していたことが大きい。それに最初に到着したサンエツ金属の役員が過去に消防団に入っていた活動の経験も生かされた」と説明する。