かつて、神のお告げである神託は絶対的なものとされた(写真:Adobe stock)

 

《わが国は開闢(かいびゃく)このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天の日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし》

現代の日本に最も必要だと考える神託の記録から始めさせて頂いた。引用した文は、「続日本紀」巻三十に記録されており、宇佐八幡宮神託事件を決着させた真の神託である。

これは奈良時代、第48代称徳天皇の治世での出来事だった。その時点で既に伝統として1300年継続しており、皇位継承のルールは確固たるものであった。そして、今上天皇の第126代までの間、守られてきたのは歴史的事実である。

まず、この宇佐八幡宮神託事件に触れておきたい。

神護景雲3年(769年)宇佐八幡宮の神託として、次のお告げが、最初に朝廷に奏上された。

「道鏡をして皇位に即かしめば天下太平ならん」

道鏡は称徳天皇の重用により法王の座にあり一定の政治権力も有していた。その道鏡に皇位を譲れという動きが表面化してきたのである。

現代的感覚で「神託」を軽視してはならない。時は奈良時代、政治とは神の意思を現世で実現することであり、その神を祀る、祭祀祭礼を司る長として天皇が現世を統治していた。つまり神のお告げである神託とは絶対的なものだった。

だが、流石に鵜呑みには出来ないという思いだろうか、判断に迷った称徳天皇はその真意を確かめるために和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣したのであり、その結果持ち帰った真の神託が、冒頭で紹介したものなのだ。

結果的に、皇位簒奪は起こらなかったのだが、時の権力者である道鏡の怒りにより、和気清麻呂は流罪になり、別部穢麻呂(わけべの きたなまろ)という名に改名させられている。称徳天皇崩御後に道鏡が失脚し、復権し名も元に戻ったのだが、それは幸運だったのかもしれない。つまり、自らの政治生命や命の危機すらある状況で、為し得た皇位簒奪の防止だったのだ。