ようこそ、果ての国へ

ブラックスワンでタレブは月並みの国と果ての国という二つの想像上の世界を描いている。
月並みの国は普通の人が住み、普通なことが起きる世界である。月並みの国では物事は予想が可能であり、期待することができる。インパクトの小さい災害が起こりやすく、大きなインパクトのある巨大災害は非常に稀(まれ)である。
それに対して、果ての国では不公平が支配し予期しないことが起きる。果ての国では、何事も正確に予想するのが難しく、起きそうにないことあるいは不可能と思われることが頻発し、巨大なインパクトをもたらす。

ニューヨークでは、われわれの月並みの国の災害に対するアプローチは9.11後の世界の、果ての国の現実の中で雲散霧消した。
国民を分断した選挙に続いて、武力衝突と核戦争の脅威がかつてなく高まっている今この時、われわれの運命はわれわれに衝撃の一打を振り下ろそうとしている女神の手の中にある。

リスクはここにある。静電気のように大気中に感じられる。月並みの国は歴史である。紳士淑女諸君、われわれは果ての国にいるのだ。

この全てはあなたにとって何を意味するのか

今ではあなたは「この全ては私にとって何を意味するのか」と自問しているかもしれない。実際、多くのことを意味するのである。はじめに、あなた自身の希望のれんが壁の後ろからのぞいてみる、そして多数の多様な災害、大小さまざまな、そしてあなたに影響する特大の災害のことを一分でも考えてみる、というアイデアがある。あるいはあなたの家族、隣人、あなたの都市(もしくは巨大都市)、あなたの州、あなたの国に影響を及ぼす災害である。

なぜならばいつの日か、あなたはそれらの災害の一つの真っただ中にいる自分を見るだろうからである。それがあなたにとっての真実のときである。洞察という贈物(あなたの過ち、あなたの選択肢を増やし、あなたの命を救ったかもしれない行動への洞察)とともにやってくる悲痛のときである。

あなた自身と家族のための行動の責任はあなた自身のものであるが、他の人にもまた責任がある。他の人、災害専門家は多くの自信を演出するが、彼らもかなりの程度に不安だからである。

災害専門家も真実のときを心配している。ブラックスワンに初めてのみ込まれるときの悲痛のときである。他の誰もがそうであるようにブラックスワンに圧倒されていると悟るときである。やることが多すぎるし、時間がなさすぎる。何日間も援助を待っている人がいる。暖房のない家に閉じ込められている弱く年老いた人、生存に必要な装置の電源を奪われた動けない人がいる。

「ちょっと待て」と思っているかもしれない。「自分のことで手一杯なのになぜ他人のことまで心配しなければならないのか」と。

ブラックスワンが来るとき、援助を必要とするのは、あなた、あなたの家族、あなたの友人、あなたの隣人かもしれない。その援助は全国の全ての災害専門家が一丸となって駆け付けてくるときにのみ得られるものである。その種の援助は国中の災害専門家が、今その準備のために集結することによってはじめて可能となるものである。

この世界で最も豊かで強力な国において、問題であったのは資源ではない。われわれは巨大な資源、信じられないテクノロジーのツール、大勢の賢明な人たちを持っている。ただ一つの問題は自己満足である。われわれが次なるブラックスワンに備えるのを妨げる自己満足は誰もが持つ問題である。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300