写真を拡大 1970年1月31日正午の天気図(筆者作成)

「紀伊半島に上陸した後、本州を縦断して各地に暴風や大雨を発生させ、死者・行方不明者25人、家屋の損壊・浸水5000棟以上、船舶被害293隻などの大きな被害をもたらした。福島県いわき市の小名浜港では貨物船が沈没し、15人の命が奪われた」

これを読んで、台風のことと早合点してはいけない。これは真冬に発生した温帯低気圧による被害なのである。

1970年1月30日から2月1日にかけて日本列島を襲った温帯低気圧は、「昭和45年1月低気圧」と命名されている。気象庁は顕著な災害をもたらした自然現象に固有の名称を与えているが、それらの多くは豪雨や台風、地震・火山現象である。「昭和45年1月低気圧」は、温帯低気圧に対して命名された唯一の事例なのである(2020年1月1日現在)。それからちょうど50年を経た今、この事例を振り返り、冬の温帯低気圧に関する防災上の留意点を再確認してみたい(以下、温帯低気圧を単に「低気圧」という場合がある)。

爆弾低気圧

当時、筆者は高校3年生で、予報官を志して天気図を毎日描いていた。冒頭に掲げた天気図は、気象庁の公式の天気図ではなく、筆者が50年前にNHKラジオの気象通報を聞いて描いたものである。等圧線を2ヘクトパスカルごとに描いている。気象通報の放送原稿は、気象庁の速報天気図に基づいて、気象庁で作られる。だから、ラジオを聞いて筆者が描いた天気図は、気象庁の天気図を再現したものということができる。手描きの天気図には、それを描く者の魂のようなものが表れると筆者は思うのだが、冒頭の天気図にそれが感じられるであろうか。