年の瀬も押し迫った昨年12月22日、糸魚川市で大火が発生した。この場をお借りして、被災した皆様に心よりお見舞いを申し上げると共に、現場で活動された消防団、常備消防の方々お一人おひとりのお顔を思い出しながら、心からのエールを贈りたい。

「ほんとうにお疲れ様でした!!」

ここ数年来、新潟県消防学校の講師として招聘されたご縁で知り合いになった多くの地元消防士の友人達が、現場で真剣に戦い、全力を尽くしたことは想像に難くない。彼らの雄姿を思うと、熱い思いが込み上げててくる。

中華料理店から出火し、強風による飛火の影響で木造密集市街地の各街区へ延焼が拡大し、鎮火までに約30時間を要した。この平成の大火は、約40,000平方メートルの敷地と約150棟の建物を焼損させ、11名が負傷した。あれだけの大火で死者が出なかったことは何よりの良い知らせである。しかし一方で、この火災から教訓を導き出し将来へ備えることはとても重要であるとの強い思いから、今回「リスク対策.com」のWeb版へ寄稿する事となった。

大火の歴史

この火災の報をうけて、なぜか“タイムスリップ”したような不思議な感覚を覚え、1904年にカナダのオンタリオ州トロントでの大火を思い出した。ずいぶん昔の事案ではあるが、トロント中心のビジネス街の建物104棟 が焼失した火災である。当時は、糸魚川市と同様、この地域で起きた火災は木造建物が密集していた事で急速に火災が拡大したため、「消防の対応能力の限界を超える」事態となってしまった。

今回の糸魚川大火では、一部専門家が、延焼拡大の一因として「消防力の不足」と分析しているが「消防力の不足」と「消防の対応能力の限界を超える」という意味のニュアンスは少々違う。トロント大火では防火構造になっていなかったエレベーターシャフトや階段室が建物内の急速な火の回りの原因となり、気象条件や木造密集地域という条件が重なり、大きな損害を出した。当時の金額で被害総額は1000万カナダドルにものぼった。

トロントは「消防力の不足」に対して、消防署を増設することだけに留まらず、「消防の対応能力の限界を超えたこと」を教訓として、防火扉、防火壁、スプリンクラー設備、より太い給水本管及び予備の火災警報装置の設置、並びに道路の頭上の障害物の撤去などを含むトロントの建築規制を大きく改訂する契機となった。確かに約100年前の事例ではあるが、トロントではこの大火を教訓として見事な復興を成し遂げることが出来た。

“大火”と呼ばれる大規模火災の歴史的な変遷を紐解いていくと、様々な事例とそれぞれの火災から導き出された教訓が見えてくる。

1942年、ボストンココナッツグローブナイトクラブの火災によって、厳しい消防法令の制定と防火教育普及の必要性が明確になった (画像提供:Sppinner Publications)

以下、米国と日本に限定し、西暦1800年以降に発生した代表的なものを以下の一覧表にした。

写真を拡大 資料作成:熊丸由布治氏

“大火”に関する過去事例を挙げれば、まだまだきりがないが、米国でも日本でも過去の“大火”を教訓にし、消防の歴史が進化し続けてきたことは明白である。例えば、1911年に発生したニューヨーク市トライアングル・シャツブラウス工場火災では、建物の非常口に関する脱出手段の設置基準が新たに定められたり、建築物や火災に対する規制が大きく改訂されたり、などのきっかけとなっている。

それぞれの大火の教訓は、「直接的な消防力の増強」に留まらず、建築物の設計、消防用設備の設置等のハード面での整備は勿論のこと、火災予防に対する一般市民への認知の向上をはじめ、体系的な自助・共助・公助の教育・訓練等、ソフト面の仕組みを整備・構築することで、より発生しづらくすることは十分可能である。そのためには過去の教訓をしっかりと検証し、それを活かすことで悲惨な事例は繰り返してはならないということである。

その取り組みの一つとして、米国での公共教育や消防訓練の一部を紹介しながら、来週の後編では次の3つの観点からの教育・訓練の必要性を述べたい。

1. 自助力を高める防火及び公共教育訓練
2. 共助力を高める消防団員の安全と教育訓練
3. 共助と公助を円滑に結びつける教育訓練

(続く)