新型インフルエンザの影響でマスクをする市民ら(2009年5月MASA (talk)がJR大阪環状線車内で撮影 出典:Wikipedia)

■天災は忘れた頃にやって来る

2009年に世界各地で発生した新型インフルエンザ(H1N1型)は、毒性はさほど強くなく、生活やビジネスへの影響も比較的限定的なものにとどまりました。今や新型インフルエンザと聞いても、不安を抱く人はほとんどいないのではないでしょうか。しかし今後、より感染力や毒性の強いウイルスが突然現れて、あちこち拡散しないとも限りません。

例えば、ここ数年中国では鳥インフルエンザA(H7N9型)に対する警戒が高まっています。1月には病死した家禽を触った2人のH7N9型患者が広東省で報告されていますが、これは遺伝的配列が低病原性から高病原性の鳥類ウイルスに変異したことを示す初めての報告なのだそうです。と言っても人体への影響が強くなったとか、人から人へ感染しやすくなったということではありません。患者2人と接触した105人の中にも発症した人はいませんでした。

しかし油断はできません。この1月だけでも中国本土では192人の感染が確認され、79人が死亡しています。昨年一年間では感染確認者216人、亡くなった人は63人ですから、わずか1カ月間でこれを上回っているのです。

いずれにしても、こうしたウイルスの脅威を高めているのは他ならぬ私たち自身であることも確かでしょう。旅客や物資の輸送力が向上し、そのルートが毛細血管のように隅々まで張り巡らされるようになった私たちの世界は、ウイルスにとってもまた自由自在に移動できる便利な世界です。

おまけに今日では、私たちの警戒心を緩めるウイルスにとって恰好の媒介が存在するではありませんか。そう、スマートフォンのこと。ヒマさえあればスマホを触っている無防備なあなた、ウイルスがドアノブや手すりやつり革、蛇口のハンドルを介して手に、そして最後はあなたのスマホを住処とすることになるでしょう。「携帯電話に付着したバクテリアはインフルエンザや流行性結膜炎、下痢などの原因になる」と米家庭医学会(AAFP)の会長、ジェフリー・ケイン氏も警告しているくらいです(ウォールストリート・ジャーナル、2012年10月24日版、 http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-535438.html)。 

■新型インフルの"察知"は前倒しで

生き延びる道を模索して変異を繰り返し、社会の利便性を悪用するウイルス。なんとまあしたたかなヤツなんでしょうか。とにもかくにも、いつなんどき感染爆発を起こすかわかったものではない。新型インフルなどのたちの悪い伝染病が広く流行することを「パンデミック」と言います。いざといときに備え、パンデミックを見据えた緊急対応プラン(ERP)を策定しておくことは事業継続にとって不可欠です。

さて、新型インフルエンザの場合、ERPの「察知」はどこに焦点を当てればよいのでしょうか。隣席の人が高熱を発してとつぜんバタンと倒れ、「感染者が発生した!」と気づいた時でしょうか? これではERPを作る意味がありませんね。時すでに遅しでしょう。

一般的に考えれば、新型インフルの情報はWHOや厚生労働省から発表されますから、こうした情報ソースで注意喚起を呼びかけるようになったら一つの「察知」と捉えることもできます。ただし、これだけではERPのトリガーとするにはやや動機が希薄です。そこで、次のように、新型インフルによる事業への影響を想定し、それらを手掛かりとしてみましょう。

①従業員への影響

身近なものとして、従業員の生活またはその家族に何らかの影響が出て出社や勤務時間に支障が出るようになった場合が考えられます。学校や病院、介護施設などが休校したり一時閉鎖されたりすることによる家族(子供や高齢者)のサポートなど、従業員の出社や業務活動を阻害する事態のことです。

②公共の利用が制限される

在来線、地下鉄、新幹線、飛行機などの公共交通機関や不特定多数の人々が出入りする駅構内、空港施設、高速道のサービスエリア、デパートや百貨店、テーマパークなどで、利用やアクセスを制限する兆しが見え始めたら要注意です。

③顧客・取引先の方針変更や要請

顧客や取引先から、来社や訪問のキャンセル、営業時間や生産計画の縮小などを通知してきた時は、新型インフルの流行を警戒して臨時の業務態勢に移行したことを意味するかもしれません。海外に拠点を置く企業の場合、現地政府による入国や移動の制限の発表などがERPのトリガーになるでしょう。

■潜伏期または小康期は注意喚起とモニタリングを重視

ところで、この種の伝染病の流行の仕方は一貫性がなく神出鬼没的で、散発的に発生したり、感染の拡大縮小を繰り返す傾向があります。このような特徴を考えると、ERPはそれぞれの段階(潜伏期→感染拡大期→小康期…のサイクルのこと)ごとに、「察知→伝達→対処」を1つのパッケージとして考えるのが自然でしょう。この場合、パッケージの中身はどのようになるのでしょうか。以下ではこれを谷(潜伏期または小康期)と山(感染拡大期)の2つに分けて説明します。

初めて新型インフルエンザへの警戒情報が発表されたり、あるいは一度流行したあと小康状態を維持しているような場合、次のような対応が考えられます。まず「危機の察知」について。この期間中は感染が顕在化していない、あるいは小康状態を保っているので緊急事態には当たりません。新型インフルエンザに関する最新情報を継続的にモニタリングする必要がありますが、とくに目立った変化がなければ、次の「伝達」と「対処」を薄く広く反復することになるでしょう。

一つは、従業員や出入りの業者、訪問者に対する「注意喚起」の呼びかけです。従業員にはレクチャーを通じて、出入りの業者や訪問者には玄関やコンタクト窓口に感染予防ポスターなどを貼り出して呼びかけましょう。次に、ERPにおける「対処」は、ここでは基本的な「感染予防対策」と読みかえることができます。これらは、手洗い(消毒液の設置)やうがいの励行、マスクの着用、暴飲暴食は慎んで体調のバランスを維持することなどが中心となります。また感染リスクの高い国に出張した人は、帰国後も2週間程度は自分の体調に注意し、他の従業員との接触を避ける工夫が必要でしょう。

ここで2009年の教訓を書いておかなければなりません。ある日とつぜん世界的に新型インフルエンザ流行の兆しが高まっても、それが強毒型か弱毒型かが判明するまでにはタイムラグがあり、リアルタイムで組織の行動に反映させるのが難しいことです。

このとき、いわゆるワーストケース(最悪のケース)を想定して機械的にERPやBCPを発動すれば、過剰反応が起きて事業の継続に支障を来すこともあります。このような理由から、強毒か弱毒かだけで緊急事態発動の判断材料とすることには無理があるため、潜伏期・小康期は保健所などが推奨する感染予防対策を徹底することで乗り切るのが妥当でしょう(生命維持や社会インフラにかかわる事業組織ではこの限りではありません)。

■感染拡大期は隔離対策を徹底しよう

次に感染拡大期における「察知→伝達→対処」について。継続的な情報収集を通じて「劇的に流行する可能性があるため厳重な注意を!」との発表が出されたら、ただちに中核メンバーにを集めて緊急対策本部を立ち上げます。これが「危機の察知」となるでしょう。対策本部がやるべきことは言うまでもなく危機の「伝達(コミュニケーション)」と「対処」です。

感染拡大期の特徴は、国内に発症者や感染疑い者が日ごとに増え、人々が街中を行き交う際にもお互いに疑心暗鬼になって警戒している状況です。社内ではいつ発症者が出て救急病院へ搬送されてもおかしくない状況でもあります。このような状況下では、可能な限り「一人ひとりの健康状態のモニタリング」と「人同士の接触の回避」を徹底することが主な対策となるでしょう。

①一人ひとりの健康状態のモニタリング

この時期、社内スタッフはもちろんのこと、とくに内外の人との接触の多い営業部員や店頭販売員などは全員に入念な体調チェックと衛生習慣を徹底させます。体調に少しでも異変があれば早退または出社を見合わせるよう指示してください。また海外渡航は極力避けるようにし、出張を余儀なくされた人は帰国後も2週間程度は出社を見合わせて、体調を厳重にチェックしてください。

②人同士の接触を避ける工夫

①に加え、業務継続体制を見直します。身近なものでは一定の対人距離を保てるように机等のレイアウトを一時的に変更する、不要不急の業務を間引く、緊急性の高い重要業務については出社するグループと在宅勤務グループに分け、それ以外は自宅待機とします。出社グループについては、お互いの安全を確認したうえで社用車・マイカーで通勤させる、などの工夫も必要です。なるべく出張や出向を避け、インターネットを介したビデオ会議システムを活用することも効果的でしょう。

なお、上記以外に③として「従業員またはその家族に発症者が出た場合の対処方法」を明記することも重要です。ただしこれは、「発症者」をどう定義するのか(少し熱がある、具合が悪いなどの「感染疑い者」も含めるのか)、どこまでを会社の義務として対処するのか、そしてこのウイルスが強毒型か弱毒型かがすでに分かっているかどうかで対処の仕方が異なるでしょう。

これに関しては新型インフルの到来に際して厚生労働省や保健所から発表されるガイドラインや医師の意見を参考にして対応手順を決めることをお勧めします。

(了)