情報空間における多数派とはどういう人たちか(イメージ:写真AC)

レピュテーションリスクの変化

今回のシリーズにて、情報に含まれる嘘、失言や炎上の構造を語ってきたので、そこに潜むリスクの変化にも関心を持っていただけたのではないだろうか。

誰が聞いても首を傾げるような嘘でも、言い続けられ、いったん情報としてまん延してしまえば、それを嘘と指摘するだけでも失言とされてしまい、糾弾され、時には炎上してしまう。まったく逆に、論理破綻し科学的にもおかしいと感じる嘘が失言とされず、むしろ称賛されたりもする。この構造が強固であれば、リスクヘッジの最善策は口を塞ぐことになってしまいかねない。

現実に、企業を含めて、社会的に「事を荒立てない」行為、「当たり障りのない」発言を美徳とする風潮が根付いていたと筆者は指摘させていただく。ところが、ネットの情報環境がこの風潮を崩しているのである。

この時代変化は、リスクの構造を変化させ、我々にこれまでの美徳や価値観を覆す必要性を迫っていると考えるべきだろう。だからといって、この構造変化を認識せずに、ただ単に口を開けばよいというわけではない。むしろ、新たなリスク構造として認識するべきだ。

ネットの情報空間は、ボーカルマイノリティではなく、サイレントマジョリティに光をあてる(イメージ:写真AC)

ネットの影響なのだからネットから遠ざかればよいと勘違いをする人は、本読者にはいないだろう。ネットの情報空間は、これまでのサイレントマジョリティ、物言わぬ多数派の声が占めており、リアル世界のボーカルマイノリティも情報発信はしていても、少数ゆえの限定的エコーチェンバー現象しか生まれず、多勢に無勢で淘汰されていくのである。

だからこそ、リアルの情報環境側からネットの情報を敵対視し、規制しようという動きが生じる。そう、この構造変化は「情報環境の民主化」の流れにほかならないのであり、全体主義的施策以外では止めようがないのだ。

米国トランプ大統領が2期目の公約で、民主党政権時の情報規制政策を批判し、自身の政権ではこの規制をすべて取っ払い、反対意見であろうとも一切規制はしないと宣言している。このことと対比すると、日本は「情報環境の民主化」では周回遅れの状態にあるのは間違いない。だが、昨今の選挙結果を鑑みても、この構造変化のうねりは間違いなく今まで以上に顕在化していくだろう。

ボーカルマイノリティに寄り添うことで、リスクを最小化する発想(イメージ:写真AC)

これまでも、企業には説明責任を求める声はあった。しかし現実的には、本音はオブラートに包み、万人に批判されないようにのらりくらりの姿勢があったことは否定できないのではないだろうか。実際に何らかの事案に向き合った際に、攻撃性の高いボーカルマイノリティの声に寄り添う方向性を示せば、リスクは最小化できていた。

これからは、そういうわけにはいかない。なぜなら、サイレントマジョリティの声の方が多数であり、この層から批判を受けるリスクの方がはるかに大きいからである。沈黙や優柔不断な姿勢は、双方からの批判に晒されかねない。

是は是、非は非と立場を鮮明にし、その根拠を自社のポリシー・理念に沿って論理的に説明しなければ通用しないのである。