2017/07/03
安心、それが最大の敵だ

読書論・文学評論を読む
博士の「湯川秀樹自選集」や「本の中の世界」などから適宜引用したい。博士の博覧強記には敬服するしかないが、その文章は常に簡潔明瞭であり理知に輝いている。「荘子」を論じる中で「本の面白さはいろいろあるが、一つの書物がそれ自身の世界をつくり出していて、読者がその世界に、しばらくの間でも没入してしまえるような本を私は特に愛好する」として「その例の一つが『荘子』である」としている。
「唐詩選」では「本の中の世界―書物を読むことによって、私たちの眼前に開けてくる世界の姿は、さまざまである。そのどれもが、何等かの形で現実世界とつながりを持っていることに変わりはない。しかし、それと同時に本の中の世界は、私たちが狭い意味で現実世界と呼んでいるものとどこか違ったところがあればこそ、本を読むことが、いうにいわれぬ楽しみとなるのである。(中略)。私は一体何を求めているのか。一言で要約するなら『詩の世界』とでもいうのが適切であろう。そういう欲求は必ずしも詩の本を読むとか、和歌や俳句の本を読むことによって満たされるとは限らない」。
西行の「山家集」を中学時代から愛読したことにふれて「そのころ私は厭世的になっていた。学校でも友達づき合いがなんとなく煩わしかった。孤独感がいつも私の心を捉えていた。そういう状態であったから、西行の歌がよけいに身にしみたのであろう」。
「近世畸人伝(きんせいきじんでん)」の結語でいう。「人間の個性が失われてしまっては、この世は面白くなくなる。当たり前の社会というのは、すべての人が当たり前の人ではなく、多数の当たり前の人たちと少数の当たり前ではない人たちとが共存し、動的平衡を保っている社会ではなかろうか」。
「源氏物語」を高く評価して論じる。「日本の美の伝統の中で中心的な地位を占めているのは、何といっても『源氏』である。この物語がひとりの女性によって創作されて以後、今日まで千年近くのあいだに、それが直接・間接に日本の文化に及ぼした影響は、あまりにも広く、また深くて、その全貌がつかみ切れない位である」。
「近代科学は、どこまでも物質的存在の明確さを追求しようとする。その先にいつでも不明確なものがあることを知っていればこそ、ますます執拗に明確さを追求するのである。ここでも明るい前景の向こうには暗い背景があるのである。しかし明暗のコントラストが、近代科学の世界と源氏物語的世界とでは、逆になっている。どちらが陽画でどちらが陰画かは、さておき、これ等二つの世界のどちらにも入ってゆけるということこそ、人間に生まれてきた大きな仕合せであると、私は思っている」。
ギリシャ哲学、ドストエフスキー論さらには松尾芭蕉論、森鴎外論、夏目漱石論、永井荷風論などなど、いずれも明察に富んだ文学批評ばかりである。引用し出したらキリがないが、ひとつだけ「漱石と私」を取り上げる。「漱石ほど日本人に親しみをもたれている作家は少ない。私も中学時代から彼の小説を読み出したが、最初から少しも違和感がなかった。(中略)。他の作家の場合のように、特に小説を読んでいるという感じを起させない。まことに不思議な作家である。(中略)。なぜ漱石の小説がり老若男女を問わず日本人のほとんどすべてに愛されるのか、その理由をもっとよく考えてみたいと思うようになった。暇ができたら、漱石の書いたものをぼつぼつ読み返したいと思っている」
当サイト「リスク対策.com」が、リスクマネジメントの専門メディアであることを忘れたわけではもちろんない。読者の大半が物理学や湯川博士とは無縁ではなかろうか。そこで、あえて博士の<文学論><文明論>を紹介した次第である。「天才とは持続的思考力」。これも湯川博士の言葉である。
(参考文献:「湯川秀樹自選集」(朝日新聞)、「本の中の世界」(湯川秀樹、みすず書房)、筑波大学附属図書館関連資料)
(つづく)
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