写真を拡大 飛騨川バス転落事故現場(写真:Wikipedia)

岐阜県の飛騨川沿いの地域は、先月にも豪雨災害が発生したばかりだが、過去にも幾度となく豪雨に見舞われてきた。その中でも、1968(昭和43)年8月17日夜から18日未明にかけての通称「飛騨川豪雨」は、史上最悪のバス事故を発生させた集中豪雨として特筆される。

この事故は、飛騨川沿いの国道41号線で、大雨のため立ち往生していたバス2台が土石流に巻き込まれて崖下の飛騨川に転落し、104人の命が奪われるというショッキングなものであった。この事故を契機に、道路管理の在り方、気象警報の発表と伝達の在り方などが見直された。本稿では、気象予報の観点から、この事故を引き起こした豪雨を検証してみる。

事故のあらまし

この事故に遭遇したのは、岐阜・長野県境にある乗鞍岳で御来光を迎えようという企画ツアーのために手配されたバス15台のうちの2台である。名古屋市内の団地の住民など約750人がこのツアーに参加していた。バスツアー行程の概要を図1に示す。

写真を拡大 図1. バスツアー行程の概要(国土地理院電子国土Webの地図に加筆)

 

一行を乗せたバス15台は、8月17日夜、愛知県犬山市に集結した後、飛騨川沿いの国道41号線を北進した。しかし途中で豪雨に見舞われたため、ツアーを続行するのは無理と判断し、引き返すことを選択した。

18日0時ごろから南下を開始したが、土砂崩れが相次いで発生し国道41号線は寸断され、バス6台がツアー客を乗せたまま立ち往生した。そして午前2時過ぎ、大規模な土石流が3台のバスを直撃し、うち2台を15メートル下の飛騨川に転落させてしまった。