気象経過

飛騨川豪雨では、台風の存在が鍵を握っていた。図2に、一連の地上天気図を示す。事故当日に当たる8月18日の天気図で沿海州に見られる低気圧は、1週間前の11日の天気図で紀伊半島沖にある台風第7号が変わったものだったのである。

写真を拡大 図2. 地上天気図(1968年8月11日、14日、16~18日、いずれも午前9時)。「T7」の表示は台風第7号を示す。日本気象協会による

図3に、1968年台風第7号の経路図を示す。この台風は、日本列島の南東方からやって来た。そして、8月10日以降、本州・四国・九州の太平洋側をおびやかしながら東シナ海へ進んだ後、突如として北東進に転じ、16日には加速しながら対馬海峡を通って日本海に入り、17日には沿海州に進んだ。この急激な進路変更のためか、長崎県の海域で漁船15隻が遭難し、57人が死亡または行方不明となってしまった。そして、17日夜に飛騨川豪雨が発生したのである。

写真を拡大 図3. 1968年台風第7号の経路図。黒丸は各日午前9時の位置を示す。久米庸孝(1968)による

図2において、事故当日の8月18日の天気図では、関東地方から四国にかけて寒冷前線が見られる。この寒冷前線は、台風第7号が温帯低気圧に変化する過程で形成されたもので、前日(17日)の天気図では東北地方から九州にかけて伸びていた。つまり、この寒冷前線は17日から18日にかけて、ゆっくりと南東進したことになる。

8月17日9時05分のレーダーエコー分布を図4に示す。当時の気象レーダーはアナログ式で、図4は観測者によるスケッチがもとになっている。東北地方から北陸、近畿、四国にかけてエコーが帯状に連なっており、これは寒冷前線の南側に沿っているとみられる。岐阜県北部から四国にかけて黒塗りされた部分があり、そこは降水強度の強い部分である。このような降水帯が、17日から18日にかけて本州中部に差しかかり、形や強度を微妙に変えながらゆっくりと通過した。

写真を拡大 図4. 気象レーダーによる降水エコー分布(1968年8月17日9時05分の富士山レーダー)。黒塗り部分は降水強度が強いことを示す。神山恵三(1969)による