■新型コロナの教訓と気候危機

さて、気候変動の話に入る前に、まずは新型コロナの教訓を振り返ってみたいと思います。というのは、気候危機のようなかつて経験したことのない地球規模の災いが襲ってきた時、人々がどのように考え、どのように行動するのか、COVID-19パンデミックからそれとなく分かるのでは、と考えたからです。筆者の独断と偏見ではありますが、このことを念頭に振り返ってみましょう。

東京アラート(写真:写真AC)

3月から4月にかけて新型コロナウイルスが蔓延し始めた頃には、私たちは神経をピリピリさせ、ずいぶんと警戒心を持って行動していたように思います。そのおかげでしょうか、一時期はこのまま収束に向かうのではと思うくらいに感染者数が激減して明るい兆しが見えていました。

しかし国の緊急事態宣言や各自治体のアラートが解除され、経済回復の象徴としてGOTOキャンペーンなどを始める前後から再び感染者数が急増。しかも今度の勢いはとどまるところを知らず、感染は全国に拡大してしまいました。

思うに、最初の感染の波がやってきたときには、誰もが希望を持って「この2カ月をがまんすれば、きっと乗り越えられる」と考えたはずです。国のリーダーもそう考えたでしょう。しかし結果的にそうはならなかった。ならなかっただけでなく、再び感染が拡大した今では、感染リスクの不安を抱えながらも「外出自粛や営業自粛はまっぴらごめんだ」という、むしろ反発心に近い空気が国民や事業者の間に漂いはじめています。

気象災害への対応は(写真:写真AC)

気候危機においても、私たちはコロナと似たような行動をとることになるかもしれません。つまり、気象災害が次第に激しさを増すようになり、将来のある時点で危機感を強めた国がドラスティックな対策(=二酸化炭素を可能な限り出さない生活や企業活動を国民に強いること)を講じたとします。しかしそれによって私たちが不便な生活に耐えられる、そして経済を持続できるのは、せいぜい数カ月の間ではないでしょうか。

感染症流行のスパンは長い目で見れば一時期の出来事に過ぎませんが、気候変動の場合は「いつまでがまんすれば温暖化は終わるのだ?」といった問いは意味を持ちません。たとえ明日から完全な脱炭素社会に移行したとしても温暖化がすぐに止まることはなく、少なくとも私たちの数世代先までは厳しい環境の中で生きていくことになるからです。

上に述べたようなドラスティックな気候変動対策は何ら効果がないだけでなく、経済や国民の生活を破綻させるだけでしょう。気候危機を見据えて、経済の持続可能なサイクルを維持するためには、可能な限り早い段階から長期戦略で取り組むしかないのです。