国論を二分したとされる国葬儀の反省点は検証されたのか(写真:写真AC)

「のど元過ぎれば」でよいのか

安倍元首相暗殺事件に関する論考その2で、国葬儀に対する評価、および問題があるならその検証と解決策の議論は事後に行うべきと主張させていただいた。

時の政権が現行法にもとづき決断した国の儀式であり、すでに国際社会にコミットし、テロに屈しない姿勢を示す意味も含め、賛否あろうが、葬儀という人の死を悼む精神性を優先して静かに実施するのが日本の国柄であり、国際社会に誇るべき美点だと思ったからだ。

問題点があれば、手続きにのっとり、場合によってはNOを突きつけ改善する(写真:写真AC)

ただし、国葬儀への反対論が多数存在するのだから、その点はきちんと吟味し、必要に応じて改善する必要がある。場合によっては法改正も必要かもしれない。それ以前に、反対派の指摘通りに政府の決断や国葬儀挙行において違法性の疑いがあるならば、司法にて判断すべきだろう。そして政権に対しノーを突き付けて政権交代を迫るのが民主主義である。

しかし、国葬儀が執り行われてからおよそ1カ月が経過したが、そのような検証が進み、問題の指摘や再発防止に向けた議論を始める動きは感じられない。真に問題意識を持った反対活動ならば、執り行われた後も活動は行われるべきで、そうでなければ再発防止は夢物語だ。が、不思議と台風一過、忘れ去られているようにすら感じる。

あらゆる事柄に完全無欠はあり得ず、反省事項があれば改善策を講じることで進歩がある。これがマネジメントの基本だ。改善の意思のない反対は単なる妨害に過ぎず、建設的ではない。反対のための反対に陥ってしまう。

あれだけ国論を二分したが、結局、その場の熱量、空気感で反対しているだけで熱が冷めれば忘却の彼方。これでは次から次へと熱の方向が移ろいでいくだけで、改善は進まず、社会のブレーキにしかならない。

このような脆弱な社会に向き合うためにも、功罪合わせて国葬儀執行に関してでき得る限りの事後検証をしたい。