長崎豪雨――7月の気象災害――
「記録的短時間大雨情報」の契機となった災害
永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
2023/07/20
気象予報の観点から見た防災のポイント
永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
気象庁が発表する警報などの防災気象情報は、常に改善が図られ、情報の種類や発表のしかたは年々変化している。それは、災害を経験することによって、改善すべき点が明らかになり、技術向上の努力と相まって、防災気象情報をより効果的なものへと進化させる不断の取り組みがなされているからである。そのような防災気象情報の改善の歴史を振り返って見るとき、ターニングポイントとなったいくつかの災害事例を挙げることができる。そのひとつが、今回とりあげる通称「長崎豪雨」である。
1982(昭和57)年7月23日、長崎県は未曾有の集中豪雨に見舞われた。長崎市では、最大1時間降水量127.5ミリメートル、3時間降水量313ミリメートル、日降水量448ミリメートルを記録した。この豪雨により、斜面の多い長崎市では、土砂災害が同時多発的に発生、また市内を流れる各河川が氾濫し、長崎市だけで死者・行方不明者299人、負傷者805人、家屋損壊1538棟、浸水37106棟などの被害が発生した。
1982年の梅雨は変則的であった。前半は不活発で、水不足を心配する声も聞かれるほどだったが、7月中旬から一転して活発化し、連日のように大雨が降った。16日には広島で223ミリメートル、20日には長崎で243ミリメートルの日降水量が観測された。7月中旬の降水量は、九州の山地で1000ミリメートルを超えるほどになった。
7月下旬に入っても梅雨は続き、この年の梅雨期間中の最大のイベントとなる「長崎豪雨」が23日に発生した。24日は熊本で394.5ミリメートルの日降水量を観測する豪雨となり、25日は九州南部や紀伊半島で大雨となった。各地の梅雨明けは平年より大幅に遅れ、九州・四国・近畿で7月27日、中国・東海で7月30日、北陸で7月31日にようやく明けた。関東甲信や東北の梅雨明けは8月にずれ込んだ。
気象庁は、7月23~25日の大雨を「昭和57年7月豪雨」と命名した。7月23日の「長崎豪雨」は通称であり、それは「昭和57年7月豪雨」の一部ということになるが、気象庁自身も「長崎豪雨」の呼称は使用している。
図1は、長崎海洋気象台(現在は長崎地方気象台)における長崎豪雨時の雨量計の記録で、上段が雨量(ミリメートル)、下段が降雨強度(ミリメートル/時)を示す。当時はこのように、雨量の推移が記録紙上にペンで自動記録されていた。この種の気象資料を「自記紙(じきし)」という。薄緑色で印刷されている目盛線は、雨量については1ミリメートル間隔で上下幅が20ミリメートル、降雨強度については上端が100ミリメートル/時になっている。時間軸は横軸であるが、時間が右から左へ進行することに注意されたい。
図1の上段に記録された雨量の線は、右端の23日9時に12.5(ミリメートル)の位置からスタートしている。23日の日中は、9時10分頃と11時40分頃に、それぞれ0.5ミリメートルの雨量がカウントされたのみで、降り方は弱かった。それが一変したのは17時頃である。雨量観測は0.5ミリメートル刻みなので、降り方が強くなければ、雨量の線は階段型に描かれるはずである。しかし、図1では、階段型には見えず、ほとんど曲線のように、さらには点線のようになっている。時間軸の1目盛は10分間であるが、19時頃からは10分間のうちに雨量線が下端から上端まで進み、下端に折り返している。これは、10分間降水量が20ミリメートル以上であることを示す。それが1時間続けば、1時間降水量は120ミリメートルを突破することになる。下段の降雨強度を見ると、上端の100ミリメートル/時に到達しているものが多数みられ、それは瞬間降雨強度が100ミリメートル/時を超えて(振り切れて)いること示す。まさに、驚異的と言おうか、とてつもない降り方である。
図2に、長崎海洋気象台(当時)における1時間雨量と積算雨量の経過を示す。この豪雨は、23日の夕刻からおよそ9時間の出来事であった。23日17時から24日2時までの積算雨量は約500ミリメートル、24日夜までの降雨も加味すると、総雨量は約570ミリメートルであった。
図3(左)に、1982年7月23日の日降水量分布を示す。この日の豪雨が長崎県南部に集中したことが分かる。図3(右)は、最大1時間降水量の分布である。長崎市の北にある長与(ながよ)町の役場で、7月23日20時までの1時間に観測された187ミリメートルは、最大1時間降水量の日本記録とみられている。
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