「他での治療は受けたくないとか、搬送中のリスクをどうするかなど、さまざまな議論があるかもしれませんが、私は被災地の病院の負担を軽くする、結果として患者の負担を軽くするためにも搬送が大切だと考えています」

実際、甲南病院でも重症患者は応急手当だけで手術はせず搬送した。救急車がまったくつかまらない状況の中、幸いにも同病院では自衛隊のヘリコプターを2日間ほど使うことができ、ヘリコプターだけで41名という多くの重症患者を転院させることができたという。

「大勢を乗せられる自衛隊の大型ヘリコプターを使えるようにすることが大切だと思います」震災前から入院していた患者への対応にも搬送体制は必須だ。同院でも 再生不良性貧血で輸血予定であった患者が、右鎖骨骨折、右血胸(けっきょう)で緊急輸血の必要な状況が生じたが、最後のヘリに乗せることができ、助かった という。

■燃料は最低1日分


特に困った点として老籾氏は、自家発電気用の燃料が切れかけたことを挙げる。「夕方に電気が再開したことはラッキーでした。やはり最低1日分の燃料は用意しておくべきでしょう。初日の夜、電気がない中で医療行為を行っていればパニックに陥っていたと思います」。

水道も断水した。完全復旧したのは震災から約20日後。貯水タンクには約180トンの水を持っていたが生活用水、診療用のごく限られたものだけに使用するこ とにして全館給水をストップして対応した。ただ、透析患者には大量の水が必要になることもあり、2日後には近くの水源地に出向き、給水を依頼。以後、ボラ ンティアのタンクローリー車で毎日30∼50トンの給水を受けることができた。

ガスについては、患者の給食用のガス炊飯器が使えなくな り、 看護婦寮から個人持ちの2∼3合炊きの電気炊飯器を15個ほど集め、これを使って、何回かに分けてご飯を炊いた。「初日の夜、翌日の食事について、困っ た、困ったと話し合っている中で、ふと、電気炊飯器というアイデアが持ち上がったのです」。数日間はボランティアの看護学生を中心に毎日、握り飯を 1000個以上も作る日々が続いた。

数日分の食料の備蓄が必要では?

老籾氏は、こんな質問に対し「現実問題としてはどんな災 害がくるのか分からないのに備蓄といってもお金がかかるし、困ると思います。普通の診療ができている中規模な病院なら特別な備蓄がなくても1日ぐらいは何 とか乗り切れるでしょう。その後は、必要に応じて国なり県が、届けるシステムを考えた方がいいのではないでしょうか。例えば、国内の数箇所でまとめて備蓄 し、大規模災害が起きれば自衛隊ヘリコプターで運ぶなど方法はあると思います」と話す。

備蓄に限らず、災害医療においては日本全体として広域でとらえ、対策ができるようにしておくことが必要だとする。

■資金難が追い討ち
も う1つ大きな課題になったのが病院の経営だ。震災当初1週間程度は、誰もお金を払わないし徴収もできない。さらに、手術を予定していた既存の入院患者を転 院させ、重症患者の多くも搬送したことから病院は一時的に空っぽに近い状態になりかけてしまったという。道路事情が悪いことに加え、住民の多くが疎開して しまったことも拍車をかけ、震災の1∼2週間後から外来患者は激減。老籾氏は「医師を減らして対応せざるをえなかった」と振り返る。

ただ、その後は、肺炎の患者が増えたり、ストレスからと思われる循環器系の疾患などの入院患者が増え、6月ぐらいには患者数は回復し、持ちこたえることができた。

■医師は2時間以内に参集を
震災での対応を振り返り老籾氏は、特に重要な点として「初動におけるスタッフの参集」を挙げる。特に医師については被災直後、一気に患者が押し寄せるため、 発災後2時間ぐらいの間に集まることが重要と見る。「スタッフは居すぎて困ることはありません。エレベーターが止まれば患者を4階、5階に搬入するのに何 人もの人手が必要です。トイレの水も汲みに行かなくてはいけません」