医療機関のBCPは本当に有効か?
被災地で手術はできない

 

阪神淡路大震災で被災しながらも、震災当初3日間で1260人もの外来患者、329人もの入院患者を受け入れ、医療を守り続けた財団法人甲南病院を訪ねた。(本誌2010年1月号vol.17、 2010年3月号vol.18より)

古めかしい建物は、阪神淡路大震災の当時から変わっていない。昭和9年に建築されたものだが、重厚な造りで神戸市を直撃した強い揺れでも躯体への被害は無かった。

甲南病院の当時の院長で被災後の対応の指揮にあたった老籾宗忠氏(現特別顧問)は「震災直後に家を出て、車で病院へ向かったのですが、とにかく病院が建っているかが心配でした。建物も患者も無事だと知ったときは、本当にほっとしたことを覚えています」と当時を振り返る。

甲 南病院は、東灘区の市街地から約1㎞山手の住宅地に位置する病床数400を有する東灘区で最も大きな地域の中核病院。被災時は1月の連休明けということも あり、入院患者は普段より少なめの320人程度だった。しかし、震災発生後は初日だけで約250人の入院患者があり、廊下や待合室に毛布を敷き、点滴を窓 枠にぶらさげて対応するなど状況は一変した。震災当初3日間での外来患者数は1260人にのぼり、うち329人が入院した。400床というキャパシティに 対し600人を超える入院患者を受け入れたことになる。初日の死亡者数は83人で、そのうち約9割は病院に運ばれてきた時には既に亡くなっていた DOA(Death on Arrival)であった。また、ほとんど手がつけられない状態で入院後に亡くなった人も11人いた。「死亡者が次々と出てくるため遺体を動かさないと診 察の場所が確保できない状態でしたから遺体安置所を作らねばならず大変でした」

こうした状況の中でも震災当日に出産も2例あったという。

ち なみに、火災被害を多く受けた長田区の近くに位置する神戸大学医学部付属病院は900床を超える大病院だが、押し寄せた外来患者数は震災当初3日間で 698人、うち147人が入院と、甲南病院の約半数にとどまる。この結果からも甲南病院がいかに大変な状況だったかがうかがえる。

「木造家屋が多かったことや、町中の小さな病院がいくつもつぶれてしまったことで患者が集中したのでしょう」地震による被害の大きさが把握できてきたのは初日の夜だったという。

「誰も、どれほどの患者が殺到するのか、医師をはじめ職員がどれほど集まるかも当初は予想できない状況でした」

老籾氏は「時々刻々と変わっていく状況に対応するだけで精一杯でした」と当時の状況を表現する。

■外来患者への対応


外来患者には透析室を開放し、その部署を重傷者の診察場にすることで対応した。重傷者以外は、通常の内科、外科の外来を開放し、整形外科の診察場と、一般の外来患者用の部屋を設けた(図)。

当時はまだ多数の傷病者を重傷度と緊急性によって分別して治療の優先度を決定するトリアージは国内で知られていなかったが、重症患者の処置室を分けることで結果的に簡易のトリアージができていたことになる。

た だ老籾氏は、「助かりそうもない患者を後回しにする今のトリアージの考え方には全面的に賛成はできません。もちろんトリアージは必要なのでしょうが、優先 付けされる患者さんは気の毒です。トリアージをしないで済む方法というのをもっと考えた方がいいのではないでしょうか」と疑問を投じる。

具体的な方法として、処置可能な重症患者はできるだけ早く被災地外に搬送することを提案する。震災医療では、重傷者はなるべく安静にさせ現場で手術を受けさ せるという考えもあるが、「仮に手術をするとなれば、数少ない医師やスタッフのうち、たくさんの外科医が使われることになりますし、次々に同じような患者 が運びこまれてくるわけですから、結局対応できなくなるでしょう。それよりは、被災地外の病院や行政機関の関係者らが、被災直後に一刻も早く現地に入り、 自衛隊のヘリコプターなどを使って、とにかく早く重傷者を搬送することが大切だと思います」と老籾氏は話す。