財務省主導の予算編成を、久しぶりに政治主導に取り戻したと筆者はみる(写真:Adobe stock)

 

「経済財政運営と改革の基本方針2026」、いわゆる骨太の方針が7月21日に閣議決定された。例年より時期的に遅れている事からも生みの苦しみがあったことは想像されるが、どうにか一歩を踏み出した。

この骨太の方針こそ、高市早苗政権とって、乗り越えるべき最大の課題であると、以前にも申し上げた通り、この成果が政権としての成否を分ける一里塚になるだろう。なんといっても国家運営の基本方針である予算の考え方を示すものであり、それは本来、民主主義国家であれば国民の信任を得た国会議員が、国民の意思や国益視点で作り上げるべきである。しかし、昨今、財務省主導の予算編成といわれ、省庁積み上げ方式による、お役所側の論理で作成されてきた。それを久しぶりに政治主導に取り戻したという実績といえる。

歴史的経緯を簡単にいえば、国家運営を政治主導に取り戻すために、小泉純一郎政権当時に「聖域なき構造改革」を推進。「経済財政諮問会議」を新設し、官邸が予算編成の主導権を握った。小泉政権退陣後に続いた政権が、いずれも短命だったために政治力低下。骨太の方針を事前に財務省がコントロールするようになり、国家運営能力の欠落した状態だった思える民主党政権時には、さらに財務省への依存度が高まってしまった。その結果、2012年の「社会保障と税の一体改革」で消費税増税路線が引かれた。

第2次安倍晋三政権時には「プライマリーバランスの黒字化目標」をめぐり、相当なバトルが繰り広げられたことは、首相の回顧録などからうかがい知れる。だが、消費増税の2度の延期などに政治主導を発揮したものの、妥協の連続だった様に感じられる。

官僚主導か政治主導か

岸田文雄政権、石破茂政権と続く中で、財源としての「税制措置(増税)」や「社会保障の上乗せ」等の文言が入り、完全に財務省主導が確立してしまい、時の首相が「日本の財政はギリシャより悪い」といった、とんでもない発言まで出てくる事態に陥った。

官僚主導か政治主導かーー。国民を無視した国益度外視のばかばかしい権力抗争にも思える。だが、例えば民主主義のエラーとして一時の空気で、運営能力の無い政党に政権を与えてしまった場合、日本の優秀であるはずの官僚組織が、揺るがない持続可能な国家運営を継続させる安全弁としての機能を果たしていたのだとも解せる。

しかし、組織というものはそうやって機能を発揮し続けると、必ず腐敗の要素も生まれる。そのため、新陳代謝が必要になる。今はその新陳代謝が出来ていない状態であろう。新陳代謝を求めて、主導していくのが政治の力であり民主主義の力だから、その力が弱いと組織的腐敗は進むだけである。

この現象は民主主義国家において避けて通れない問題点であり、米国でも「ディープ・ステート」と批判して、組織改革を進めているのがトランプ政権である。

日本でもようやくその一歩を踏み出せたのが今回の「骨太の方針」である。この先、壮絶な攻防が繰り広げられるだろう。それは既得権益者側の当然の反発でもある。かなりの部分が水面下で行われ、メディアなどを使ったプロパガンダも強まるだろう。

我々はその全てを冷静にかつ論理的に見極める歴史の証人にならねばならない。それが民主主義を選択した国民の義務であろう。