「再入場を禁じる法律」はない

日本には、被災した建物への再入場を、建物の被災度に応じて一律に禁止する法規定はない。

筆者が調べた限り、行政が法的に建物の使用を止める手段としては、建築基準法第10条に基づく使用禁止・使用制限等の命令や、災害対策基本法第63条に基づく警戒区域の設定による立入り制限・禁止がある。ただし、これらは建築物や区域の危険性を踏まえて行政が個別に措置するものであり、被災した建物すべてについて、被災度に応じて自動的に再入場を禁止する仕組みではない。

発災直後の仕組みとしては「被災建築物応急危険度判定」がある。自治体の要請を受けた判定士(建築士等の専門家)が建物の当面の使用可否を調査し、「危険(赤)」「要注意(黄)」「調査済(緑)」の3色で表示する制度だ。ただし、これは法律に直接根拠を持つ制度ではなく、自治体の要綱等に基づく運用であり、赤紙にも使用を禁止する法的強制力はない。しかも判定が行き渡るまでには発災から数日を要することが多く、「地震発生から1時間半後」の判断には使えない。さらに、この判定は余震による倒壊や部材の落下といった構造的な危険の評価が中心で、ガス漏れの検知を目的とした仕組みではない。

応急危険度判定ステッカー

BCPでは、内閣府の指針を取り入れる企業が多数

では企業は何を頼りにすべきか。東日本大震災の際、多くの施設で「専門家が来るまで建物を使ってよいか分からない」という問題が顕在化したことを受け、内閣府は2015年に「大規模地震発生直後における施設管理者等による建物の緊急点検に係る指針」を策定した。施設管理者自身が発災直後に建物を点検し、使用継続の可否を判断するための手引きであり、多くの企業のBCPがこれを参照している。ただし、この指針も柱・梁・天井など構造体や非構造部材の点検が中心である。

つまり日本では、「ガスの臭いを感じた場合は建物に立ち入らない」という考え方は広く共有されているものの、発災後の再入場判断の中にガス漏れの確認を明確に位置づけたガイドラインは、十分に整備されてこなかったと言える。

内閣府「大規模地震発生直後における 施設管理者等による建物の緊急点検に係る 指針」

米国FEMAはガス漏れを明記している

一方、米国には参考になる文書がある。FEMA(連邦緊急事態管理庁)が2019年に公表した「Post-disaster Building Safety Evaluation Guidance(FEMA P-2055)」だ。災害後の建物安全性評価の実務をまとめたガイダンスで、構造安全性だけでなく「居住可能性(Habitability)」の章を設け、天然ガス漏れを独立した評価項目として明記している。

FEMAのpost-disaster Building Safety Evaluation Guidance(FEMA P-2055)

同ガイダンスが評価者に求める行動は、要約すると次のとおりだ。

・導管を流れるガスには着臭されていない場合があるため、臭いだけに頼らず、シューという噴出音、土が舞い上がる現象、地中からの発火、水面が吹き上がる様子など、ガス漏れの兆候に注意を払う

・ガスの臭いを感知した場合は、直ちに建物から退去する

・建物内で携帯電話等を使用せず、車両や機械の始動・停止など火花を生じうる着火源となる行為を避ける

・直ちに消防またはガス事業者等に通報する

・建物内に取り残された人がいる場合も、通報は建物の外から行う

「気づいたら逃げて通報する。自分で確かめようとしない」という、極めて明快な行動原則である。着火源となり得る行為にまで言及している点は、日本の企業マニュアルではあまり見られない視点であり、日本でも大いに参考にすべき内容だ。