みんなが知っての通り世界の終わりだ
誰もがこれを信じてほしいというのではない。『灯りが消える』でテッド・コッペルは“プレッパー(備える人)”のことを取り上げている。希望の煉瓦壁を超越した生き方をしている人たち、核爆弾や大停電への備えに精を出して食料品や生活用品を山のように買い溜めている人たちである。

プレッパーは、大災害はもうすぐそこまで来ていると心底思っている。それを特別の言葉で表現してグループのアイデンティティ(同一性)を創り出している。ヨーヨー/YOYO (you’re on your own:あなたは自立している)、グッド/GOOD (get out of Dodge:とんづらする)、そして言うまでもなくテオトワキ/TEOTWAKI (the end of the world as we know it:みんな知っての通り世界の終わりだ)といった頭字語である。

全米に何百万人といるプレッパーのうちコッペルはワイオミングへの入植者の例を紹介している。家を建てるために何千個という日干し煉瓦を手作りし、魚を貯めるために3エーカーの湖を掘った人である。

プレッピング(準備)がかっこうよいものになる前はモルモン教徒もプレッパーであった。モルモン教会の災害準備は他に比類のないものである。巨大な倉庫、ハイテクのバター・チーズ工場、果樹園、自前のトラック会社―最悪の事態を予想するという長い伝統の賜物である。

ブラックスワンに責任をもつのは誰か?
切迫した終末に備える人もいる一方、大方の人は希望の煉瓦壁に囲まれて暮らしている。自分と家族のために準備をしようと思うか思わないか、二種類の人がいるというのが現実である。それは人間の性である。

しかし私のようにそれを職業としている人間には当てはまらない。あなたはブラックスワンとの闘いに出かける準備を私に頼っている。災害ビジネスにおいてはそれを“問題の責任を持つ”という。しかし我々災害専門家も人間である以上、同じ希望の煉瓦壁と格闘せざるを得ない。それゆえあなた方が我々を責めるとき、我々は貴重な時間と金を使って準備キャンペーンを行い、あなた方の責めにする。

ニューヨーク市では16年前に希望の煉瓦壁が崩れ落ちた。美しい9月の朝、9時59分、世界貿易センターの南タワーが崩壊して、宇宙に大きな穴を切り刻んだときである。私はロウワー・マンハッタンにある保健省本部の3階の窓から目撃した。床が揺すぶられ、部屋に雷のような轟きが断続的にこだましたとき、社会構造が破壊されたように感じた。私にはいよいよ終末なのだと思えた。

その朝からニューヨークの災害専門家はもはや大災害に対する我々の脆弱性について幻想を抱くことはなくなった。あの恐ろしい日に我々には洞察という贈物が与えられた。それは我々を恐れさせるどころか大いに力づけるものであり、それをしっかりとつかんで離さないよう懸命に仕事をした。それ以降の行動のすべては、我々は可能な限りの準備をはるかに上回るインパクトに曝されているという認識の下でなされたものである。ブラックスワンと闘えるほど強くはないので、我々のチーム、計画、資源、能力を構築する努力をやめるわけにはいかない。

私が2006年にニューヨーク市緊急事態管理局(以降OEM)に入局した後、我々はその洞察という贈物を地域そして国中の同僚みんなのものにしようと努力した。その主張を福音のように周囲の郡や州さらには連邦に説いて回った。我々が彼らを援助するというだけでなく、彼らに我々をよりよく援助させるためである。

これから見ていくように本物の前進があった。絶え間ない闘争ではあったが。解決すべき複雑な問題、資源の制約、政治など多くの課題はあったが、ほとんどのものは我々の頭の中にあるものであった。もしくは、より具体的には我々が助力を求めなければならない人たちの頭の中にあるものであった。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300