札幌市から車で西に30分ほどの場所に位置する石狩市。町の北側には雄大な石狩川が流れ、日本海に注ぎ込む。人口6万人のこの小さな町が昨年、市内全域を8つのエリアに分け、全各域で地区防災ガイドラインを策定し、市の地域防災計画に組み入れた。全国でいち早くコミュニティごとの地区防災の考え方を取り入れ、地域防災計画の見直しを進めてきた同市の取り組みを取材した。

 

石狩市総務部総務課危機管理担当主任 笠井剛氏

「平成の大合併により面積が増えた分、旧石狩市には無かった山間部での土砂災害リスクが増えるなど、それまでの地域防災計画では対応できないことが分かった。それでも東日本大震災前は全面改定の予定はなく、現況に合わせた修正程度で考えていた」と石狩市総務部総務課危機管理担当主任の笠井剛氏は2005年の旧厚田村、旧浜益村との合併後の状況を振り返る。しかし2011年3月に東日本大震災が発生。当時の地域防災計画に危機感を感じた田岡克介市長は、「地域防災計画の改定にあたっては、専門家から意見をもらい、地区住民自らが納得し、考えられる動機付けが必要」と考え、地区ごとの防災計画の必要性について市長と同じ考えを持つ当時北海道大学工学研究院特任教授だった加賀屋誠一氏(現在・室蘭工業大学副学長)に助言を求めた。

加賀屋氏は、2000年の有珠山噴火時に噴火を予知すると同時に近隣住民の避難を指示し、地元では「有珠山の守り神」とも呼ばれている元北海道大学附属地震火山研究観測センター長の岡田弘(ひろむ)教授(現・北海道大学名誉教授)に影響を受け、早い段階から地区防災に関してその有用性を熟知していた。加賀屋氏は2011年10月、「地区防災計画策定に係る市民参加のあり方に関する提言~地域防災力の強化に向けて~」と「地域防災計画・水防計画の改定に関する提言」をまとめ、市に提出。石狩市はこの提言に沿った地区防災計画を策定することを決定した。

提言には、これまでの地域防災計画から脱却し、想定外の規模の災害まで含め、住民一人ひとりが万が一に備えて普段から訓練や備蓄などの防災・減災活動を進め、自助・共助を促すことのほか、災害時のICS(インシデント・コマンド・システム※米国で導入されている災害対応の標準化された考え方)の導入、市のBCP(業務継続計画)の策定などが盛り込まれていた。