助かった原因は偶然か

多くの方が亡くなったその現場でディレクターの御曽祖父はどうやって生き残ったのでしょうか?

御曽祖父のお名前は近藤直太さん。明治18年(1885)生まれで当時は38歳でした。近藤直太さんは、神田の職場で地震にあいます。自宅のある千葉まで避難しようと歩いて帰る途中に一時避難したのが、旧陸軍被服廠跡地でした。

そこで、火災旋風にあい、折り重なった遺体の下で火が収まるまでジッと待っていた、それがご家族の伝え聞いている内容です。火が収まるまで待ったということはその間に意識があったのかもしれません。しかし、ご本人に確かめるすべは今はなく、なぜご遺体の下にいらっしゃったのかもわかりません。

同じような体験談は他にも記録やネット上にでてきます。とっさにそこにあった水たまりを掘り、顔をつけていた人もいました。また、火災旋風から90度の方角に逃げたとか、川に飛び込み助かったという情報などがありました。

ただ気をつけてほしいことがあります。防災情報で生存者の体験談は、事実ゆえに重みもあり教訓も多く含まれる一方で、亡くなった方も同じことをして亡くなったかもしれないのに、そのデータは含まれていません。

人の下敷きになって助かる方がいる一方で、そのまま圧死するケースもあったでしょうし、竜巻が進路を変える様に火災旋風も進路を変えるので、うまく逃げきれるとは限りません。川に飛び込み、その上に人が重なり溺死された方がいた事は記録にも残っていますし、太平洋戦争で原爆が投下されたあとの広島で川に逃げ、やはり溺死やその後の感染症により命を落とされた証言集もあります。川に逃げて助かった方がいたとしても、それをもって、川への避難を勧めることはできません。近藤直太さんが体験されたように、助かった方は多くの偶然が重なった結果として生き残ったという事がより正確な情報といえるのではないでしょうか。

近藤ディレクターのお話を聞いて、遠い過去のイメージだった関東大震災で生き残った方達がいるからこそ、今の自分たちがいるのだということをリアルに感じました。実は、近藤菜穂子さんのお名前の「なお」は御曽祖父のお名前を受け継いでいらっしゃるのだそうです。次の世代に希望を託し命を繋いでいく、そんな想いが伝わってきます。

ですから、「火災旋風に対してはこう逃げろ! 生存者の教訓」みたいなタイトルであれば、きっと閲覧数も増えるんだろうなと思いつつ、でも災害時の火災旋風は、そんなに単純なライフハック情報では太刀打ちができないほど、甚大な被害を起こすことを忘れてはいけないと思っています。