マイナス評価の元となった風評が根も葉もないものであれば、それはいわゆるデマです。このようなルーモアは悪意を持って意図的になされることも多く、信用毀損や業務妨害を受けることになり、まさにこれこそ風評被害です。また、この風評伝播のプロセスでは、意図的ではないにせよ出所や元情報を疑わずに無責任に拡散してしまうことがあり、これが現在のネット社会の危うさを増長しています。

一時(ある期間)のプラス風評がマイナスに転じる場合は、嘘がバレたり、メッキが剥がれたときです。不祥事発生に至れば、徐々に真実が暴露されてくるわけですから、もともとが欺瞞経営だったと言わざるを得ません。これは“想定外”でも何でもなく、起こるべくして起ったと言えるのです。そうなると、実損害が大きくなり、さらに不祥事発生後の対応のプロセスでミスを犯せば、さらに信用を失墜して実損害がより拡大してしまう。まさに企業存続の危機の局面に立たされます。このプロセスは、実損害と風評被害が表裏一体となってきりもみ状態で落下していくように形容できます。

さて、風評形成の場としては、従来の口コミと既存のマスメディア、そしてインターネット上の各メディア(ミドルメディア、パーソナルメディアを含む)があります。真偽入り乱れた情報がこれらの間を相互に乗り入れ、駆け巡って風評が形成されていきます。ネット上のみであれば“炎上”ですが、既存のマスメディアでも取り上げられ、延焼すると“大炎上”となります。いずれにしても、企業としては“炎上範囲”(即ち風評範囲)をできるだけ狭めて、早期の“鎮火”に努めなければなりません。

直近の熊本地震で問題になったのが「不謹慎バッシング」です。「こんな時期にそんなことをやるのは“不謹慎”だ」という類の批判です。これらのバッシングをしているのはノイジーマイノリティです。まるで大勢の人が言っているかのように思われますが、実はごく少数の人間が数多く投稿している。ここを見分けるリテラシーが重要です。

炎上だからといって、何も常に過剰反応する必要はありません。自社の評判に関わるので気になるのは当然ですが、この拡散範囲は結果として限定的なものに止まりますし、「いちいち、そんなことを言うほうが不謹慎ではないか」との声にかき消されることも少なくないのです。この辺りはしっかり見極める眼を養いましょう。

求められる危機管理

とは言うものの、風評の挙動や動態は複雑な動線を描きますので、あまりにも巨大不祥事になってしまうと企業側のコントロール(範囲・能力)の壁を突破してしまうことがあります。平時の危機管理でやるべきことをやっておき、各種潜在リスクの無軌道な成長を放置しないでおけば、仮にクライシスな局面になったとしても早めに収束できます。そして、危機管理体制をブラッシュアップするサイクルに繋げることができます。風評に関しては、平常時の活動は風評の常時チェックとその対応、緊急時は風評発生の認知と評価、ならびにその対応のステージに分かれます。これらをうまく回して継続的な経営活動の改善に資することこそ、危機管理そのものです。