佐呂間町若佐地区上空から見た竜巻の爪あと(写真提供:佐呂間町)

11月は気象災害が比較的少ない月かもしれない。台風シーズンは過ぎ、冬の大雪や暴風雪にはまだ早い。

しかし、11月に気象災害が起きないわけではない。本稿では、筆者の記憶にある11月の気象災害の中から、2006年11月7日13時23分に北海道佐呂間町で発生した竜巻に伴い9人の命が奪われた事例を振り返ってみる。

まずは、当日の対応から。

記者会見

当時、筆者は気象庁の主任予報官という職にあり、この日は東京大手町の気象庁ビル4階にある予報課のオフィスで仕事をしていた。

第一報が入ったのは13時50分頃である。北海道佐呂間町で突風とみられる現象が発生し、建物が倒壊しているとの情報であった。これは忙しくなるぞ!と直感し、直ちにスタッフメンバーの協力を得て資料収集を開始した。

14時を過ぎると、メディア各社の取材が続々と入り始めた。Y新聞社の女性記者に対応しているとき、記者の所持するポケベルが鳴った。記者いわく、「あれっ、永澤さん、気象庁が16時から記者会見をするそうですよ。どなたが説明をなさるんですか?永澤さんですか?」と。すると、遠くの方から統括課の指揮官の呼びかける声が聞こえた。「永澤さーん、16時から会見頼むよー!」

顕著な災害をもたらす可能性のある現象が予想されるとき、もしくは実際に発生したとき、気象庁では担当課長もしくはそれに準じる役職にある者が記者会見を行うことになっている。予報課では、通常、主任予報官が会見を担当する。

その時点で、時計は15時を指していた。会見までの持ち時間は1時間しかない。会見で何を語るかを考える。気象庁の統一見解などあるはずがない。緊急時には、会見者に全てが任される。会見者の語ることが、気象庁の見解になるのである。

こういうとき、筆者には、気象データという心強い味方がある。気象データの根拠なしに語ることは許されないし、気象データさえあれば何かを語ることができる。語るべきことは、気象データが教えてくれる。

16時、気象庁1階の会見室に足を踏み入れると、そこにはメディア各社の記者たちが大勢待ち構え、後ろの方にはテレビカメラが10台ほども並んでいて、一斉にこちらへ向けられていた。筆者は記者会見を何度も経験したが、テレビカメラの台数はこの時が一番多かった。