(写真:a katz / Shutterstock.com)

パークアベニュー1642番地からちょうど南へ6マイル(10キロメートル)、120ブロック離れたところに市長邸がある。セカンド・アベニュー121番地は、かつてフェルナンド・ウッド ニューヨーク市長が住んでいた。1855年のニューヨーク・タイムズ記事はその住所の前で500人の音楽家が参加してセレナーデを演奏した模様を伝えている。

2015年3月にマンハッタンのイースト・ビレッジ界隈で、セカンド・アベニュー121番地は5階建レンガ造りの賃貸ビルだった。1950年代になるとイースト・ビレッジは芸術家とボヘミアンの中心地となった。今は粋なナイトライフで知られている。

よき昔のバーやライブハウスと小劇場が粋なカクテルラウンジや人気レストランと共存している。

3月26日火曜日の午後、ニコラス・フィゲロア23歳はイース・ビレッジにいた。

彼はセカンド・アベニュー121番地の5階建レンガ造りの賃貸ビルの1階にあるレストラン・スシ・パークで昼食をとっていた。午後4時頃、フィゲロアはランチ友だちと店を出ようと、勘定を払うために立ち上がった。レストランの奥に歩いて行くと、レストランから走り出そうとする二人の男たちにほとんど殴り倒されそうなった。

その男たちは、建物オーナーの息子でブロンクスのマイケル・リネンコと無免許配管工のジェリー・イオニディスで、彼がパイプとバルブをガタガタにもつれさせたためビル裏で重大なガス漏れを引き起こしていた。

1時間前にスシ・パークの従業員がガスの匂いを感じてオーナーに連絡している。リネンコとイオニディスが歩いて入って、彼らの悪夢の作業が原因で発生させた危機を見てパニックになった。レストランの客や従業員に警告することなく、レストランから”疾く”飛び出していくのが監視カメラのテープに録画されていた。

その一瞬後に大きな轟音がして、セカンド・アベニュー121番地の建物の正面下部が崩れ、粉々のガラスとばらばらになったレンガが歩道に押し出された。爆発の力で、フィゲロアの連れは食堂から通りに放り出された。地面が揺れ、残骸、漆喰、ガラスが空中を飛んだ。数分で炎が 正面の窓から吹き出し、屋根を突き抜け高く燃え上がった。 火の勢いが強くなり、非常階段口から飛び降りようとする住民の絶望的な試みやドラマチックな救出もあった。爆発時にたまたま近くにいた非番の消防隊員マイケル・シェパードが火災避難装置に囚われてしまって、狂乱状態になった女性の救出を助けているのがビデオに写っていた。彼女を助けて降りる時に、炎のあまりの高熱で彼の靴底が溶けていた。

火災の勢いが非常に強く、消防隊は建物から後退せざるを得ず、建物に多量の放水をして、外からの延焼防止活動を行った。

東7通りとセカンド・アベニューの北東角の119、121、123番地の三棟の建物は瓦礫となった。隣の125番地の建物もひどい損害を被った。

ニコラス・フィゲロアは スシ・パークで皿洗いとして働いていたモイズ・イスマエル・ロソン・ヤック27歳とともにスシ・パークで死亡した。リネンコとイオニディス含め19人が負傷し、うち4人は瀕死の重傷を負った。

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