(イメージ:Shutterstock)

霧はそれ自体が猛威を振るうわけではないが、人間活動にさまざまな影響を与える。なかでも、交通にとって霧は大きな妨げとなる。霧による陸上の交通事故については、本連載シリーズ14(霧中の多重衝突事故)でとりあげた。今回とりあげるのは、霧による海難事故である。

1955(昭和30)年5月11日朝、高松港外の備讃瀬戸で、国鉄(当時)の宇高連絡船どうしが濃霧の中衝突する事故が発生し、そのうちの1隻紫雲丸(しうんまる)が沈没して、168人の死者を出す大惨事となった。犠牲者の中には修学旅行中の小中学生が多数含まれ、事故を一層痛ましいものにした。この事故は、国鉄戦後五大事故の一つとされ、死者数で見れば、前年(1954年)に発生した洞爺丸事故に次いで2番目に大きな事故となっている。

海上に発生する霧

霧は大気中に浮遊する微水滴によって視程(見通せる距離)が低下する現象である。霧が発生するのは、地表近くの空気が水蒸気に関して飽和した状態となるときである。霧発生のメカニズムについては、本連載シリーズ14(霧中の多重衝突事故)の中で詳述した。

日本近海に発生する霧の中で最も多いのは、春から夏にかけて広範囲に見られる「移流霧」である。これは、南から流れ込む湿った暖気が相対的に低温の海面に触れて冷却され、水蒸気が飽和して微水滴となるものである。移流霧の発生は4月に始まり、梅雨期を経て、8月に至るまで、暖候期の大半がそのシーズンである。

移流霧の発生域は極めて広い。移流霧の最盛期における気象衛星可視画像の一例を図1に示す。中国沿岸から日本列島の近海とその東方海上、オホーツク海、千島列島からアリューシャン列島にかけての海域とその南海上、さらにベーリング海に至るまで、北太平洋の北半分はほとんどが霧に覆われている。低気圧や前線に伴う雲も一部に見られるが、大部分は海面にごく近いところに存在する霧または層雲である。

画像を拡大 図1. 移流霧の最盛期における気象衛星可視画像(2017年6月25日9時)

気象庁が船舶向けに発表する全般海上警報は、赤道以北、日付変更線以西の北西太平洋をその責任領域としているが、移流霧のシーズンである春から夏にかけては、「海上濃霧警報」がほぼ定常的に発表される。ちなみに、海上濃霧警報の基準は視程0.3海里(約500メートル)以下である。ただし、高松地方気象台が瀬戸内海を対象に発表する海上濃霧警報の基準は0.5海里(約1キロメートル)以下である。また、各地の気象台が発表する「濃霧注意報」の基準は、陸上に対しては「視程100メートル以下」のところが多いが、沿岸の海域に対してはより厳しく「視程500メートル以下」で運用されている地域が多い。

秋になると、それまで日本近海を席巻していた移流霧はうそのように姿を消す。それは、気温と海面水温との高低関係が逆転したことを示す。気温が海面水温より低い寒候期は、基本的に日本近海での霧発生は少なく、内陸から極度に低温の気塊が海に流出する場所などで、「けあらし」とよばれる蒸気霧が局所的に見られる程度である。