2023/01/15
事例から学ぶ

防災心理学を学ぶ大学生が、企業と協働しながら商用車に載せる防災マニュアルを制作した。運転中に地震災害に遭遇してもドライバーがパニック状態に陥らず落ち着いて行動ができるよう、緊急時に取るべき行動を写真で分かりやすく紹介するとともに、二次元コードを読み取って動画でも確認できるように工夫されている。内容は、表紙を含めてA4判でわずか11ページ。目次はなく、1ページごとラミネート加工された用紙が、パンチで穴あけされカードリングで束ねられている。「利用者それぞれが、自分に合ったページ構成にして、さらに必要な情報を付け足していってほしい」というのが狙いだ。

車に乗っている最中に被災したらどうする?
マニュアルを作ったのは、兵庫県立大学環境人間学部の木村玲欧教授が主宰する防災心理学のゼミ生。中心となった岩崎響介さん(22歳)は4年生で、今年3月の卒業後は兵庫県庁への就職が内定している。昨年9月に、紙コップ飲料自動販売機の運営管理を行う株式会社アペックス西日本(兵庫県加古川市)から依頼を受け、同社社員が営業などに使う商用車に載せる防災マニュアルを同社と協働しながら約3カ月かけて作成した。
きっかけは、アペックス西日本に2018年に入社したゼミの先輩にあたる馬野吉博さん(27歳)からの相談だった。社員約1500人のうち、その3分の2にあたる約1000人が商用車を使ったルートセールスで、日々、東奔西走をしている同社では、社員の運転中の安全確保がかねてからの課題だった。馬野さんも、入社後はセールスを担当する中で、防災マニュアルの必要性を会社側に繰り返し説いてきた。
「入社後は会社の防災体制が常に気になっていました」と馬野さん。一方で、「社員の命にかかわる重要なものを自分だけで作るわけにいかない」との不安も感じていた。
会社側も、馬野さんの提案を受け、社員用の防災マニュアルについては理解をしてくれていた。ただし、本格的に検討をするとなると、地震、火災、水害、雪害、さらにはオフィス用、自宅用、営業車用など、想定することがあまりに多く、なかなかプロジェクトが進まなかった。
「災害時の不安をなるべく払拭したい」
2021年から、馬野さんはルートセールス部門からセールスサポート部門へ異動となった。自動販売機のデータを分析して営業に役立てるというもの。営業が最大限、力を発揮できる方法についても検討する中で、再び防災の必要性が頭をよぎった。
「営業職の多くが、車の運転中に災害に遭遇したらと不安に感じているはず」(馬野さん)
数人にヒアリングをすると、「地震が発生した際どのように行動していいのか分からない」「集金したお金を入れた金庫を積んでいる社用車を乗り捨てるわけにはいかない」「どこにどのように止めたらいいか分からない」など、さまざまな疑問を抱いている実態が浮かび上がった。
「こうした不安や疑問を少しでも払拭できれば、営業に専念しやすくなると思いました」(同)
そこで、恩師でもある木村教授に社員用の防災マニュアルが作れないかを相談した。ちょうど木村ゼミでは岩崎さんが「防災教育」の効果検証について研究に取り組んでいた。どのような教育や研修を行えば、どのような知識や能力がどの程度高まるかをID(インストラクショナル・デザイン)の理論にのっとって検証するというもの。木村教授から岩崎さんに、企業版のマニュアルと教育をセットにして教材設計と効果検証ができないかと呼び掛けがあり、岩崎さんらゼミ生が快諾してプロジェクトがスタートした。時間的な制約もあることから、まずは「車を運転している際の地震対応」に的を絞ってマニュアルを作成することにした。
目次のない防災マニュアルが完成
内容は、地震災害後の行動手順、災害による道路の危険(住宅地、高速道路、道路の被害、地震・津波・大雨による道路での危険性)、緊急時の脱出の方法(脱出用ハンマーやシートベルトカッターの使い方、折りたたみヘルメットの使い方)、そして災害時に起き得る「失見当」についての解説だ。
「失見当」とは、はもともと精神医学の用語。防災分野では、地震発生時は、急激な環境変化によって人間の認知機能が正常に働かず、頭が真っ白になって冷静な判断ができなくなったり、五感や時間感覚などが正常に働かなかったりすることが指摘されている。このような状態が失見当と呼ばれており、災害心理学においては、災害時に適切な行動を取れるようにするために、失見当を理解することが重要な要素と考えられている。防災心理学を学ぶ岩崎さんが、どうしても取り入れたいと思ったテーマだったという。マニュアルでは、運転中に失見当によって引き起こされる誤動作の例や、こうした対策を分かりやすく示すことにした。
それでも、マニュアルは表紙や1ページ丸ごとを使った二次元コードを含めても11ページ。「すぐに取り出せて、必要な箇所が一目で分かるようにしたかった」(岩崎さん)というのが理由だ。1ページごとラミネート加工され、左上にパンチで穴があけられ、カードリングで束ねている。車のシートに設けられているポケットに入れたり、車内にフックがあればそこに掛けておくことができる。
「あくまで最低限必要だと思う項目だけに絞り込みました」(岩崎さん)
ゼミ内でも、主要な連絡先や、担当エリアごとのハザードマップを載せた方がいいのでは、との意見が出されたが、必要に応じて、自由に付け足せられるようにした。順番もユーザーそれぞれが見やすいように自由に入れ替えられる。学生の柔軟に発想による「目次のない防災マニュアルが」完成した。
事例から学ぶの他の記事
おすすめ記事
-
入居ビルの耐震性から考える初動対策退避場所への移動を踏まえたマニュアル作成
押入れ産業は、「大地震時の初動マニュアル」を完成させた。リスクの把握からスタートし、現実的かつ実践的な災害対策を模索。ビルの耐震性を踏まえて2つの避難パターンを盛り込んだ。防災備蓄品を整備し、各種訓練を実施。社内説明会を繰り返し開催し、防災意識の向上に取り組むなど着実な進展をみせている。
2025/06/13
-
「保険」の枠を超え災害対応の高度化をけん引
東京海上グループが掲げる「防災・減災ソリューション」を担う事業会社。災害対応のあらゆるフェーズと原因に一気通貫の付加価値を提供するとし、サプライチェーンリスクの可視化など、すでに複数のサービス提供を開始しています。事業スタートの背景、アプローチの特徴や強み、目指すゴールイメージを聞きました。
2025/06/11
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/06/10
-
その瞬間、あなたは動けますか? 全社を挙げた防災プロジェクトが始動
遠州鉄道株式会社総務部防災担当課長の吉澤弘典は、全社的なAI活用の模索が進む中で、社員の防災意識をより実践的かつ自分ごととして考えさせるための手段として訓練用のAIプロンプトを考案した。その効果は如何に!
2025/06/10
-
-
緊迫のカシミール軍事衝突の背景と核リスク
4月22日にインド北部のカシミール地方で起こったテロ事件を受け、インドは5月7日にパキスタン領内にあるテロリストの施設を攻撃したと発表した。パキスタン軍は報復として、インド軍の複数の軍事施設などを攻撃。双方の軍事行動は拡大した。なぜ、インドとパキスタンは軍事衝突を起こしたのか。核兵器を保有する両国の衝突で懸念されたのは核リスクの高まりだ。両国に詳しい防衛省防衛研究所の主任研究官である栗田真広氏に聞いた。
2025/06/09
-
危険国で事業展開を可能にするリスク管理
世界各国で石油、化学、発電などのプラント建設を手がける東洋エンジニアリング(千葉市美浜区、細井栄治取締役社長)。グローバルに事業を展開する同社では、従業員の安全を最優先に考え、厳格な安全管理体制を整えている。2021年、過去に従業員を失った経験から設置した海外安全対策室を発展的に解消し、危機管理室を設立。ハード、ソフト対策の両面から従業員を守るため、日夜、注力している。
2025/06/06
-
福祉施設の使命を果たすためのBCPを地域ぐるみで展開災害に強い人づくりが社会を変える
栃木県の社会福祉法人パステルは、利用者約430人の安全確保と福祉避難所としての使命、そして災害後も途切れない雇用責任を果たすため、現在BCP改革を本格的に推進している。グループホームや障害者支援施設、障害児通所支援事業所、さらには桑畑・レストラン・工房・農園などといった多機能型事業所を抱え、地域ぐるみで「働く・暮らす・つながる」を支えてきた同法人にとって、BCPは“災害に強い人づくり”を軸にした次の挑戦となっている。
2025/06/06
-
リスク対策.PROライト会員用ダウンロードページ
リスク対策.PROライト会員はこちらのページから最新号をダウンロードできます。
2025/06/05
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方