【イスタンブール時事】内戦下のシリアでアサド政権への大規模攻勢を仕掛けた反体制派勢力は8日、国営テレビを通じ、「ダマスカスを解放した」と首都制圧を宣言した。政権最大の後ろ盾であるロシアは「アサド大統領が辞任を決め、平和的な権限移譲を指示して出国した」(外務省声明)と発表。父ハフェズ氏の時代から半世紀以上続き、2011年からの内戦で一時は軍事的優位を固めたアサド独裁政権は崩壊した。

 シリア政府はアサド氏の動静を公表せず、所在は不明だ。米ニュースサイト「アクシオス」は、同氏を乗せたとみられる軍用機が首都を離陸後、中部ホムス上空で針路変更後に高度を下げて消息不明になったと伝えた。

 シリアのジャラリ首相は動画メッセージで、「シリア国民に選ばれるいかなる指導部とも協力する用意がある」と表明。ジャラリ氏は中東メディアに対し、指導部を選出するための自由な選挙を実施する必要性を訴えた。反体制派の主力である「シャーム解放機構」(HTS、旧ヌスラ戦線)の指導者ジャウラニ氏は8日、SNSを通じ、公的機関は正式な引き渡しまで首相の管理下に置かれると主張した。 

 シリアでは11月下旬、北西部イドリブ県に拠点を置いていた反体制派が攻勢を始め、政権支配下に置かれていた北部アレッポ、中部のハマやホムスなどを相次いで制圧。さらに、南部の主要都市も次々と陥落し、アサド政権は南北双方から挟撃され、窮地に立たされていた。

 アサド政権は内戦当初は劣勢に陥ったものの、ロシアやイランから強力な支援を受けて盛り返した。ただ、今回の反体制派の進攻時には、ロシアがウクライナ侵攻に軍事資源を集中させ、イランやレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラがイスラエルとの対立で弱体化していた。反体制派はその隙を突く形で攻勢を強めたとされ、開始からわずか10日ほどで政権打倒に導いた。

 

 ◇シリア内戦を巡る動き

2011年3月    「アラブの春」受けた反体制デモ拡大、その後内戦突入

    11月    アラブ連盟、シリアの参加資格停止

 13年 8月    米国、アサド政権が首都郊外で化学兵器使用と断定

     9月    米ロがシリアの化学兵器廃棄枠組みで合意

 14年 6月    過激派組織「イスラム国」(IS)がイラクで建国宣言、シリアでも支配地広げる

     9月    米軍、シリアでIS拠点に空爆開始

 15年 9月    ロシアが政権側で軍事介入

 16年12月    政権軍、アレッポ制圧。反体制派は北西部に撤退

 17年 4月    米軍、アサド政権が北西部で化学兵器を使用したとしてミサイル攻撃

 19年10月    IS最高指導者バグダディ容疑者死亡

 23年 5月    アラブ連盟、シリアの復帰承認

 24年11月30日 反体制派がアレッポの大部分を掌握

    12月 5日 反体制派、中部の要衝ハマの制圧宣言

        8日 反体制派、中部の要衝ホムスの制圧宣言

           反体制派、首都ダマスカスの制圧宣言

シリア

(了)(ニュース提供:時事通信)

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