2018/10/29
安心、それが最大の敵だ

教壇に立った漱石
同大学は明治政府の学制発布と同時に発足した日本初の教員養成校・師範学校が原点(母体)である。その後、東京師範学校と体操伝習所(今の体育学群の原点)となり、さらには東京高等師範学校(今日の高校にあたる旧制中学以上の教員養成校)と発展した。女子の高等教員養成校として東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)が開校している。両校とも戦前の東京の文教地区にキャンパスを構えた名門校で、高等教育界の指導者育成を目指したことから官費支給の優遇措置があった。
昭和24年(1949)、東京文理大学・東京高等師範学校・東京体育専門学校・東京農業教育専門学校の国立4校が統合して東京教育大学の発足となった。筑波研究学園都市への移転を契機に、昭和48年(1973)10月、筑波大学が誕生した。この年元筑波大学長江崎玲於奈博士がノーベル物理学賞を受賞している。平成14年(2002)図書館情報大学と合併し他の総合大学では見られない学群が誕生し、2年後には国立大学法人となり今日に至っている。
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エピソードは明治26年(1893)に遡る。若き文学士夏目金之助(後の文豪漱石)は東京高等師範学校の教壇に立った。1世紀半の同校史のエッポクの一つと考えたい。秀才夏目金之助は東京帝国大学文科大学大学院(英文学専攻)に進んだ後、同年10月、東京高等師範学校の英語教師嘱託となる。26歳。
「夏目漱石」(小宮豊隆)の「就職」から引用する。(小宮豊隆は漱石門下のドイツ文学者。以下原文のママ)。
「漱石が(大学を)卒業してから、漱石の成績が非常によかったので、方々に就職口があった。その中で、学習院の口は、仲に立った人が大丈夫だというので、漱石はモーニングを拵(こしら)えて待っていると、その職はアメリカ帰りの人か何かにとられてしまい、仕方がないから漱石は、一張羅(いっちょうら)のモーニングを着て方々あるいていたという話は、漱石の講演『私の個人主義』の中に出ている」。
「その後、漱石には、高等学校(現東京大学教養学部)と高等師範と両方から、殆ど同時に口が掛った。『私の個人主義』に、「私は高等学校へ周旋(しゅうせん)してくれた先輩に半分承諾を与えながら、高等師範の方へも好い加減な挨拶をしてしまったので、事が変な具合にもつれてしまいました。(中略)。すると或る日当時の高等学校長、今では慥(たし)か京都の理科大学長をしている久原さんから、ちょっと学校まで来てくれという通知があったので、早速出かけて見ると、その座に高等師範の校長嘉納治五郎(かのうじごろう)さんと、それに私を周旋してくれた例の先輩がいて、相談は極まった、こっちに遠慮は要らないから高等師範の方へ行ったら好かろうという忠告です。私は行掛かり上否(いや)だとはいえませんから承諾の旨を答えました。が、腹の中では厄介な事になってしまったと思わざるを得なかったのです。というものは今考えると勿体ない話ですが、私は高等師範などをそれほど有難く思っていなかったのです。嘉納さんに始めて会った時も、そうあなたのように教育者として学生の模範になれというような注文だと、私にはとても勤まりかねるからと逡巡した位でした。嘉納さんは上手な人ですから、否そう正直に断られると、私は益々(ますます)貴方に来て頂きたくなったといって、私を離さなかったのです。こう言う訳で、未熟な私は双方の学校を掛け持ちしようなどという欲張り根性は更になかったにかかわらず、関係者に要らざる手数を掛けた後、とうとう高等師範の方へ行く事になりました」と書いてある。(教官夏目金之助が教師や学生と一緒に撮った写真が残されている)。―この嘉納治五郎の言葉は、『坊っちゃん』の中で、新任の坊っちゃんに言う、狸(校長)の言葉に酷似するところを持っている。しかしそれは今ここでは問題ではない。当時漱石が受け取った月給は37円50銭であった。明治26年(1893)10月の日付で「高等師範学校英語授業を嘱託し1ヶ年年金450円給与」(原文カタカナ)という辞令が、高等師範校から出ている。明治26年10月27日狩野亨吉(学友)宛の漱石の手紙には、「生義兼(かね)て御出京中は種々御配慮を煩はし候処、その後高等師範学校英語教授の嘱託を受け、去る19日より出講仕(つかまつ)をり候へば乍憚(はばかりながら)御安息可被下(くださるべく)候」と書いてある」。
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夏目教員は2年間東京高等師範学校の教壇に立った後、突然同校を辞して明治28年(1895)4月、愛媛県尋常中学校(後に松山中学校を経て現県立松山東高校)の教諭として松山に赴任する。月給80円は校長より高く破格の厚遇であった。だが、なぜ<江戸っ子>金之助が郷里東京を捨てて四国に「都落ち」したのか、その要因は今日も「謎」とされている。強度の神経衰弱に陥っていたとの説もある(失恋説もあるが、評論家半藤一利氏らは否定的である)。松山は周知のように「坊っちゃん」の舞台である。
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