汚染された松川(赤川の下流、左)と北上川の合流点(右、昭和49年当時、いずれもJOGMECのHPより)

四十四田ダムでヒ素封じ込め

JR盛岡駅から北へ車で20分足らずのところに四十四田(しじゅうしだ)ダムはある。市街地から近い平坦地のダムという特異な立地条件で昭和43年(1968)完成した。昭和16年(1931)に北上川洪水調節を目指して5つのダムが計画されて以来、石淵ダム、田瀬ダム、湯田ダムに次いで4番目に完成したのが四十四田ダムで、本川の唯一のダムである(5番目は雫石川に造られた御所ダム)。

赤く汚濁した流れと共にブヨブヨした浮遊物が北上川上流を下っていく。この汚染水を封じ込める役割を果たしているのが四十四田ダムである。同ダムの主な目的は治水と発電である。松尾鉱山の酸性水は、放っておけば四十四田ダムにも少なからず影響を与える。そこで同ダムを管理する建設省が問題解決に動いた。

注目すべきは「北上川方式」である。同方式の計算式は「8.4Ax」と呼ばれる。北上川の清流化対策を考える上で非常に大切な式である。鉱床に含まれる成分は、鉱山によって異なる。松尾鉱山から流れ出る酸性水には、水素イオン、硫酸イオン、硫酸第一鉄、ヒ素、アルミなどの重金属が含まれている。pH2前後の松尾鉱山の強酸性水をビーカーに入れ、中和剤(水酸化ナトリウム)を加えていき、pH8.4付近になると、水の中に溶け込んでいたほとんどの重金属類は化学反応を起こして底に沈む。この時使用した中和剤の量が「8.4Ax」の値である。酸性水を無害な水にするために、それだけのアルカリ量が必要かということを知るための指標である。中和処理は24時間、365日一時も止めるわけにはいかない。

炭酸カルシウム(炭酸石灰)の使用量は昭和49年度(1974)で4万7000トン、その経費は年間2億4000万円に上った。中和処理方法では24時間人を張り付けておいても、小さい古い施設では全処理水量の3分の1しか中和できない。それを補うために川へ直接投入している炭酸カルシウムは赤い沈殿物とともにどんどん四十四田ダムに貯まっていく。鉄分は硫酸第2鉄になることによって、より沈殿物に変わりやすくなる。

上流から流入する中和沈殿物を貯めることになるだろうとは予測されていたものの、それは予想を大きく超えた。四十四田ダムで大量の「沈殿物」(ヒ素)が封じ込められた。沈殿物と水質は安定している。
                
「清流化元年」と言われた昭和50年(1975)。その根拠は、その年の水質の基準地点である北上川本川の紫波橋でpH7(中性)を取り戻して以来、水質が安定しているためである。

露天掘跡地の覆土植生工事(左が施工前、右が施工後、いずれも岩手県HP)

次の言葉は重い。
「岩手県民の『母なる川』北上川は、清冽な流れをとりもどしつつあるが、これを守り続けるのが県民自身であることを忘れさせてはならない」(「北上川百十年史」(建設省(当時)東北地方建設局)。日本全国にはかつて鉱山が6000ほどもあった。今ではほぼすべてが休廃止鉱山となっている。水処理施設は全国に80カ所あり、そのうち24カ所が義務者不存在鉱山である。廃坑後の後始末を自治体に強いている(2006年調査)。

参考文献:「北上川を清流に」(建設省岩手工事事務所)、「北上川百十年史」(建設省(当時)東北地方建設局)、JOGMEC資料、岩手県関連資料、「濁る大河」(矢野陽子)。

(了)