メンタルはベトナム戦争以上の悪さ

3カ月ぐらいは皆がここで寝起きしました。私は最初の100時間は全く寝ていませんし、1年半、この発電所でずっと寝起きもしていました。幸い、重症のけが人や大量の被ばく者が出なかったというのは非常にありがたかったことです。一方、皆、地震津波の被害者でもあるわけですが、東京電力の社員ということもあって、避難所に行って配給品をもらおうとすると「何で東京電力の人間なのに水をもらっているんだ?」とか、あるいは東京電力のユニフォームを干していて、いろいろ言われたとか、辛い思いをした人も多かったというのがあります。

医療面では、お医者さんがいてくれたので本当に助かりました。しかし、メンタル面の専門家がいないんですね。同じ年の4月に防衛医大の先生にアンケートを取ってもらったんですが、家族・同僚と死別したとか、福島第一の爆発を見たとか、福島第二の所員のメンタルヘルスは、アメリカの医学誌に報告されていますが、「ベトナム戦争以上の悪さ」と言われました。おそらく、福島第一の所員はさらに悪い状況になっていたでしょう。 

職場の環境については、もともと生活するような場所としては整備していませんので、途中から、洗濯機や乾燥機を持ってこようとか、ベッドを作ろうとか、シャワー室を設置しようとか、いろいろな工夫をしてもらっています。中でも一番大切だと思ったのがトイレです。

福島第一は残念ながら水が全く手配できなくて、トイレで苦労していました。ぐちゃぐちゃの仮設トイレで皆頑張ったんですが、福島第二は、私が、外から来た水は、飲料水じゃなくて、まずはトイレの水をためておく槽に入れろという指示をしていて、トイレだけはきれいに保つというところを一番気に掛けていました。

食事は、最初はクラッカーだけです。そして備蓄していたカップラーメンやアルファ米でしばらくずっと生活していました。そのうち、いわき市から、お弁当を作ってくれるという話をいただきました。事故以来、生野菜を初めて食べたのはゴールデンウイークです。途中でお弁当に「頑張れ東電」というシールが貼られてきて、これには涙が出ました。我々が皆さんにご迷惑を掛けて避難させてしまっているのに。そして皆さん、プロのお弁当屋ではなく、いろいろな方が作ってくれているのが包装紙を見ると分かるんですね。最終的に1年3カ月後に通常の食堂が戻ってきています。そのときには笑い声が初めて聞こえてきました。

 

「制服で行かせてくれ」

地域の活動については、地域の方には本当に申し訳ないことをしてしまったのですが、その方々が一時帰宅するに当たって、線量を測定するなどの作業を行う必要がありました。地元の自治体の方は、いざこざが起こるのを恐れ、東京電力の制服(ユニフォーム)で来ないでほしいとおっしゃっておりましたが、私は逆に、制服で行かせてくれというお願いをしています。ずっとこれから存在させていいただかなくてはいけないのに、最初から制服ではなく、偽った形で作業させていただくのはまずいと思ったので、制服で行って、何とかうまく存在を認めていただこうと思いました。ただ、やはり怖さはあったので、地元出身で地元の方と話せるような年配の所員もいたので、もしトラブルがあればお願いしますということで、同行してもらっています。徐々に地元の方からも、我々が一生懸命、汗を流しながら働いているのを見て、「ご苦労さん」と言ってくれるようになったのは非常にありがたかったです。結局、地元の方と衝突して大変な思いをしたという案件は、一件もありませんでした。今も、お墓の片付けや、皆さまに戻っていただけるような家の片付けなどを東京電力全員でやっていて、延べ40万人ぐらいがこうした復興支援活動に当たっています。東京電力がこの福島の責任を果たすというのは、とても大事なことだと思っています。

(2018年11月8日に行われた一般社団法人レジリエンス協会の定例会より)

(続く)

第1回 ハーバードで取り上げられたリーダーシップ
第2回 現場の安全を守る
第3回 土地を知っていたことが奏功

(2018年11月8日に行われた一般社団法人レジリエンス協会の定例会 講演より)