炊き出しを実際にやって感じたこと

私は炊き出し前日、大和重工の社員6名と600食分の買い物をし、ワゴン車で東京へ行きました。そして都内で1泊をして、翌早朝現地へ向かいました。

避難所生活者は減少していたので、炊き出しの対象は在宅被災者です。屋内はまだ浸水した水が引いただけでヘドロがやっと乾いた状態。まず生涯学習センターの駐車場で昼食を300食作り、終わったらすぐ場所を移動して諏訪神社の境内で夕食を300食作りました。大釜(10升炊き)2つ、炊飯釜(5升炊き)2つ、調理器具……。ペットボトルの水で米を洗い、煮炊きをしました。現地で他社の社員らが加わり計10人でプロの仕事ぶりを発揮しました。

驚いたことに、献立と出来上がり時間を書いたチラシがボランティアセンターの事務局からすでに地域住民に配られていました。そのため、住民は待ちかねるように足早にテントにやってきました。さらに驚いたのは、人々が手に大きめの鍋を抱えてやってきたことです。5人前ください。お隣のおじいちゃんの分もくださいなどと言いながら、300人の混ぜご飯、野菜たっぷりスープ、ミカンの3点セットはあっという間になくなりました。テント近くで食べる人は全くおらず、皆家に持ち帰りました。

住民とお話することを楽しみにしていた私は、逆にひどくガッカリ。「あーあ、行っちゃった!」。でも、住人の一人に「このようなボランティアの炊き出しは、これまでもありましたか?」と尋ねると、「あー、これまで4回ぐらいかな」と話してくれました。その時点で在宅被災者は6000人を下らないのではないかということで、ボランティアの活動がいかに重要だったかが分かります。

なぜ炊き出しが必要だったか

それにしても、鍋を抱えた住民があまりにも熱心にやってきたのが不思議でなりません。本当に食べ物に困っていたのが手に取るように分かりました。ライフラインが回復しているのに、なぜ炊き出しを心待ちにしているのかと。

それには訳がありました。1階はドロドロで家財道具は全てダメ。壁の中の断熱材はビショビショで素人には引っ張り出せない。内壁を張ることもできない。困ったことに肝心の大工もいない。いつまでたっても台所が使えないのです。大型店舗へ買い物に行くにも、車の多くが水に浸かったため、使い物になりません。ライフラインが回復したらすぐ料理ができるという考えは通用しないことが分かりました。

援助する側と受ける側の「本気のぶつかり合い」

冒頭で「仲人」といったのは、常総市で支援活動を展開しているNPOのネットワーク「常総市水害対応NPO連絡会議」(呼び掛け人:茨城NPOセンター・コモンズ、代表理事:横田能洋氏、10月8日現在、63団体が参加)です。

水害という災害は、地震とは違う側面があります。避難所が浸水し使えない。避難所は、自宅から遠く離れた場所に設定されるので行きにくい。被災者は自宅で生活し、孤立してバラバラになる。

その点常総市では、仲人が地域住民とネットワークを作り、皆の結束を高めたことで、私たち炊き出し隊は、2つの地域で助援活動ができました。それぞれの地域が300人単位でまとめられていたため、効率良く食事が行き渡り、皆に喜んで食べていただけました。

地域が「1つにまとまる」ということはとても難しいことです。日頃からまとまっていなければなりません。災害が起こってからでは遅いのです。

援助を受ける側が本気を出せば、援助する側も本気が出ます。
本気と本気のぶつかり合いです。本気が本気を呼び込む。このリーダーの才能と足並みをそろえて頑張った地域の住民の本気を心からたたえたいと思います。

(了)