Photo: Andrea Booher/FEMA

法律をつくるのは議会であり、その法律の権限を行使するための規則をつくるのは行政機関である。規則は規則を制定した行政機関によって執行されるのであり、規則を起草した機関のみが執行することができる。グラウンド・ゼロの場合には、作業者の安全にかかわる責任を負うのはOSHAとニューヨーク州労働局である。ニューヨーク州労働局は消防士や警官など公共セクターの作業者のための、OSHAはその他全ての者のための規則を制定した。

ニューヨーク市がそうしてほしいと繰り返し要請したにもかかわらずOSHAとニューヨーク州労働局はワールドトレードセンターの現場で“執行の活動”をしようとはしなかった。WTC健康安全タスクフォースのメンバーはイライラさせられた。われわれはOSHAとニューヨーク州の代表を全ての安全会議に呼び出し、彼らの失敗した方針を改めるよう要求した。彼らはみんなそこにいた。EPA、OSHA、(PESH)のスタッフと監督者たちは最初の日からその場に、そしてEOCにわれわれとともにいた。彼らはわれわれと同じくらい懸命に仕事をし、真剣であった。

しかし説明はできないで謝るのみであった。たとえばOSHAに対する指示は“執行はしばらく見合わせて、協働を追求すべし”というものであった。連邦の組織図の上の方にいる意思決定者たちは、関与することは望んだが、自分たちの責任を問われるようなミスは避けたいとの思いで必死だった。それらの意思決定者たちは安全会議を避けていたので、われわれは彼らを追いかけた。一人がオフレコということで語ってくれた。「われわれはストレートに“現地化するな(現地の人間がすべきことをするな)”と言われている」と。

ニューヨーク市とWTC健康安全タスクフォース、とくにワールドトレードセンターの現場とその周辺にいる警官・消防士・建設労働者にとっては、これは十分には望ましいものではなかった。

ベーコンエッグの朝食には鶏が必要であるが、豚の献身もかかせない(どちらも欠かせないというビジネスの寓話)。

あらゆる災害対応において、究極の権限は、市長であれ、知事であれ、大統領であれ、公選役人の最高位にある者にある。災害対応の分野では、彼らは親しみを込めて”ボス”と呼ばれている。

9.11の際に作業者の健康を守ることができなかったのはジュリアーニ市長、パタキ知事、あるいはブッシュ大統領の責任であると言うのは容易であろう。つまるところ、究極の責任はボスである彼らにあったのだから。しかし彼らもまた自らの専門家からの矛盾したメッセージによって混乱させられていたのだ。誰も彼らがわれわれの安全会議に出るとは考えない。災害対応においては、ボスに問題の発見を期待することはできない。あなたが問題を(解決策とともに)ボスに提起しなければならないのだ。それがグレートマシーンの仕事である。

グレートマシーンは対応の全てのレベルであらゆることを結びつける。はじめにEOCの中の各機関を連結させる。次にそれらの機関を現場の作業部隊と上部のボスにつなげる。

パラレルな宇宙においては、悪くなることの全ては同時に悪くなるので、この最後のボスにつなぐ部分が重要である。彼らのみができる意思決定、彼らのみができる問題解決を迅速にさせる必要がある。そうでなければわれわれはそのときに行動することができない。

自治体政府はその仕事をした。OEMは緊急時統合調整システム(Incident Command System: ICS)の組織であるグレートマシーンを誰もが接続できるように稼働させた。しかし誰もが接続をしたわけではかったので失敗した方針は正されようがなかった。WTC健康安全タスクフォースはグレートマシーンに所属するチームだった。作業者の安全に関する全ての課題はグレートマシーンの中ではふつふつと湧き上がっており、われわれはその大部分を自分たちの段階で解決した。しかし失敗した執行方針の問題は解決することができなかった。そのためグレートマシーンを通じてボスへそれらを上程した。この場合市長はEPA、ニューヨーク州保健局、OSHAには説明を求めることができたであろうが、連邦環境保護庁の長官、ニューヨーク市労働局の局長、米国労働省の長官は所在が不明であった。彼らはワールドトレードセンターの事故対応にかかわることは欲したが、コミットはしようとしなかった。