2018/04/16
安心、それが最大の敵だ
渡航旅費を借金で捻出
青山は、渡航旅費を自ら捻出してアメリカに向かった。後年「出稼ぎだった」と自嘲気味に語っている。当時の金銭で50ドル(約100円)の借金を身内などからして乗船した(雑誌「新女苑」昭和23年9月号)。青山家関係者の話によれば、晩年の青山本人から「パナマ行は文字通り海外への出稼ぎであり、汗や泥にまみれて働くことを覚悟して出かけた」と聞かされたという。青山が言う「出稼ぎ」に謙遜や誇張はないと言うのである。青山の渡航には悲壮感がともないこそすれ、「学士様の洋行」といった華々しさはない。
明治36年8月11日、青山は横浜港に停泊中の日本郵船所有「旅順丸」(4805t)の3等船客となり太平洋航路でカナダに向かう。信仰の友「角筈12人組」の数人が埠頭に立って見送った。東京帝大の恩師・廣井勇の姿もあった。青山家の関係者の姿は見えなかった。青山は廣井教授から託されたバア教授への紹介状をしっかりと持っていた。この紹介状こそ、初めて太平洋を渡る青年の唯一の「頼りの綱」であった。青山が乗りこんだ3等客室は、片道料金が18~20ポンド(当時の日本円で40円位、今日の約10万円強)で、これでも船内では最も安い料金である。船倉のような暗く狭い部屋だった。
旅費に余裕のない青山は、甲板の洗い掃除などを手伝って小銭を稼ぐ。カナダ・ビクトリアに着いた青山は、日本人乗客の金銭的支援もあって、「旅順丸」に引き続き乗船することができてアメリカ・ワシントン州シアトルに船で渡る。シアトル港着は、8月26日である。日本人乗客は24人だった。中には留学生もいた。青山の肩書はCivil Engineer(土木技術者)である。当時シアトル~横浜間は日米間最短航路であり、自然環境に恵まれた港湾都市シアトルは中国系や日系移民者の多く住む街であった。青山は2週間をこえる船旅から解放されて、初めて踏みしめた「新世界」の港町で一息ついた。しかし「新世界」で日本人青年を待っていたのは厳しい試練の連続であった。
青山がアメリカで初めて旅装を解いた頃、日本では日露開戦をめぐって新聞ジャーナリスムは賛否両論の激しい言論戦を展開していた。東京・大阪の「朝日新聞」「時事新報」「大阪毎日」「国民新聞」は対露強硬論・開戦支持に傾き、「万朝報」「二六新報」は非戦を主張した。青山の師内村は、東京一の販売部数にのし上がり一流紙の仲間入りした「万朝報」によって絶対非戦論を叫んだ。明治36年6月30日、彼は「万朝報」に「戦争廃止論」を書いた。しかしながら、「万朝報」は非戦論を唱えたことで発行部数を大きく減らし、社長黒岩涙香の決断で、開戦支持の論調に転じる。
大方の新聞は桂内閣を「恐露病」と罵倒し桂内閣はついに開戦の方針を打ち出す。明治36年10月9日、内村は「日露戦争絶対反対」を主張し、幸徳秋水、堺利彦らの論客とともに「万朝報」を去る。内村は社長黒岩に宛てた辞表で言う。
「小生は日露開戦に同意することを以て日本国の滅亡に同意することと確信致し候」
明治37(1904)年2月8日、日本政府はロシア政府に対して宣戦布告する。未曾有の兵力消耗戦となる日露戦争が勃発した。
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