三ツ星ベルトの地域密着の取り組み

三ツ星ベルト総務部長の保井剛太郎氏

「震災が発生した時は、夜勤で60名前後が働いていた。会社の被災状況を確認した後、近隣住民の要請もあり手押しのポンプ車3台で地区の消火活動に当たった」と当時を振り返るのは、三ツ星ベルト総務部長の保井剛太郎氏。

三ツ星ベルト本社広告塔

三ツ星ベルトは1919年創業、長田区真野地区に本社を置く、日本有数の産業用ベルトメーカーだ。国内に販売拠点25カ所、海外にも北米や東南アジアなど9カ国で事業を展開している。同社の基本理念は「人を想い、地球を想う」。真野地区まちづくり推進会にも、長年参画してきた企業の1つだ。本社広告塔の「三ツ星ベルト」の文字は、震災時に駆けつけたボランティアの道しるべになったことでも有名だ。

もともと地域との共生を重要視してきた同社は、震災前から体育館を地域住民に開放して剣道教室を開くなど、地域に密着した活動を行ってきた。近隣の住民は、「過去に住宅火災があった時に、三ツ星ベルトの自衛消防隊が駆け付けてくれ、放水してくれたのを思いだし、出動をお願いした」と当時のニュースの中で語っている。

震災時は火が燃え盛るなか、断水もあって消火水が不足した。三ツ星ベルトは工業用水を地下に240トン貯めていたが、それらも全てなくなり、最後は井戸水を使って消火にあたったという。

体育館は、避難所としても活用された。発生当日から4月末まで約400人が避難生活を送った。震災当日に、体育館を避難所として使わせてほしいと要請したのは剣道教室の世話役だった近隣住民。ここでも普段からのコミュニティを通じた信頼関係が役に立っている。

実は同社は、1992年に本社を神戸ハーバーランドに移転しており、震災発生時には真野地区に工場と研究所があるのみだった。震災を契機に、真野地区の住民が地域産業活性化のため本社を真野に戻してもらうよう社長に要請したところ、快諾を得て2000年に真野地区に本社が戻った。現在も、真野地区の三ツ星ベルトと総合防災訓練などを共同で行っている。ハザードマップでは、真野地区の津波想定の高さは4.0m、津波到達予想時間は90分。近隣の保育所・小学校も「津波が発生したら、北へ逃げる」を合言葉に、津波が発生した場合には子どもを水平避難させるという。現在、広告塔のある工場建屋は神戸市と津波一時避難所の協定を結んでおり、緊急時は地域住民に垂直避難所として開放する。三ツ星ベルトと地域住民の絆は震災を乗り越え、さらに強く成長している。