「学び直し」の必要性がいわれているが、おおもとの基礎教育に問題はないのか(写真:写真AC)

国家を支える生涯学習と訓練

ジュニア世代の教育・訓練に問題があり、その影響かどうかは別にしても、日本人の長文読解力が低下している現実を語ってきた。しかし、憂いてばかりはいられない。現実がその状況なら、それに即した社会人教育、いや生涯教育の環境を社会や企業がつくり上げなければならないだろう。

それは一部の政治家がいうような「学び直し」という類ではなく、個々人の人間としての能力を高め、社会活動における実践に役立てるものである。この教育・訓練は、企業の事業活動にもプラスに働き、ひいては国家としての国力向上にもつながる。従って、個人、企業、国家と、どの視点からでも始められることであり、始めるべきことだろう。

では、社会人になってからの教育・訓練として何をなすべきか。もちろん、専門性の高い職種に就いた場合は、専門知識や技能の教育・訓練は欠かせないだろう。一般企業であろうとも、それぞれの組織・部門における専門性を高めることは必要不可欠だ。

専門性教育とは別によく行われるのが、社会人のステージごとの基礎教育の類だろう。座学を中心に、各ステージの役割を提示し、その意識醸成、モチベーションを高めるとともに、縦横の組織の人脈形成、コミュニケーション力形成にも役立つものだ。

しかし、この範疇で決定的に欠落しているのが、日本語読解力を備えてきていないことを前提とした教育・訓練だ。当然だろう。それは学校教育で身につけてきているはずだと考えられているからだ。そのため、実態は異なるという問題意識をまずは持つ必要がある。

だからといって、いまさら社会人に国語教育をする必要はない。私は、実践にも即役立つケーススタディが有効だと考える。

社会人教育にはケーススタディが有効(写真:写真AC)

ただし、わざわざケースを創作する必要もない。身近に起きた事件、自身たちの営む事業に関係するニュース、自社の過去のクレームでもよい。あるいは何らかの関連する書籍でもよい。それらの題材を読み込んだうえでさらに行間の考察を深めるために、周辺情報や同様事象に対処した事実、その事象が社会的にどう判断されるか等の情報を調査・分析・考察して複数名で議論を戦わせる。

この場合、正解のない議論に対して、トレーナーは答えを誘導するのではなく、コーチングに徹するべきである。情報に過不足はないか、考察に論理破綻はないか、誤謬性のチェックと指摘をしつつ、一部議論に加わることで、健全で建設的な議論に誘導する。

建設的な議論で気付きを生み出す(写真:写真AC)

往々にしてあるパターンは、ケース自体の読み込み不足、情報不足による誤解なのだが、それこそ日本語読解力不足現象が顕在化しているのであり、単なるケースで読み取れなければ、実際に起きるさまざまな事象を正確に把握し、適切に対処することなどできるはずがないのだ。

指摘されることによって、気付きが生まれさえすれば、元々識字能力は備わっているのであり、読み込む必要性を感じ、意識することで読解力は高まると同時に、行間を読み込む、周辺情報を探るモチベーションにもつながるだろう。