相次ぐ炎上騒ぎでネット空間上の議論自体を忌避する傾向が強まっている(イメージ:写真AC)

良い炎上と悪い炎上

ネット空間で数々の炎上騒ぎが起きているのは事実であるが、良い炎上と悪い炎上があることは認識されているだろうか。

すべてを悪い炎上とみなし、忌避する傾向が強いのかもしれない。むしろ、自分たちに都合の悪い情報拡散を悪い炎上とレッテル貼りをしているだけかもしれない。その構造を冷静に見極める必要があるだろう。

ともすれば、ネットの情報空間を危険視する意識がまん延しがちだ。企業も従業員教育でSNSへの投稿などネットとの関わり方を注意喚起してきたが、それはおおむね次の内容が中心だったと思う。

①業務に関係する投稿はしないこと
②人を傷付けたり誹謗中傷したりする発言はしないこと
③炎上するリスクを想定し節度を保つこと

①②は社会人として当然で、に関してはある意味、社会生活の上での他のリスクと同等に考えるべきだ。しかし、実際は必要以上の反応「君子危うきに近寄らず」が根付いてはいないだろうか。

その結果、組織の一員として不用意な意見発信で意図せず炎上してしまうリスクを想定し、多くの良識的な人たちがネットの情報に対する関心度を下げ、ネット空間のサイレントマジョリティー化が進んだと思う。

炎上を恐れ、良識的な発信も抑止される(イメージ:写真AC)

もちろんすべてではないが、賛否両論あり疑義を生みかねない問題事象に対しての発信は抑制され、差し障りのない投稿が主流となる傾向が強いだろう。匿名だからといっても本人特定は容易であり、企業や組織に知られ、懲戒対象にもなり得ると考えるのだから仕方がない。

逆に、ネットの匿名性が隠れ蓑になるという間違った認識を持つ人たち、つまり前述の人たちよりも良識に欠ける人たちが、悪目立ちしてしまうのも当然かもしれない。しかし、それでよいのだろうか。疑問に思わざるを得ない。

誤解を恐れずに言わせていただくと、良識的な人物からの『炎上上等』での良識的な発信は必要なのだ。上記①②に該当する発信、誹謗中傷は御法度であることは常識として、

④異論としての建設的な意見発信
⑤論理的な問題提起

はむしろ積極的に行うべきで、それでも絡まれ、炎上することもあるだろうが、

⑥冷静さを保ち、ていねいに対応する
⑦適切に対応しても埒が明かない場合はブロックやミュートを使う
⑧もしも自分に誤りがあったと自覚すれば訂正と謝罪を怠らない

という姿勢を崩さなければ、何も臆することはない。それどころか、そうして良識的な参加者の割合が増えてくることで、議論は前向きに活性化され、情報空間としても健全性を育めるだろう。今の時代、それこそ民主主義のあるべき姿ではないだろうか。