3.リスクマネジメント・BCP の実践における経営的視点の重要性
私が銀行流の企業分析から、キャッシュフロー・ リスクの分析に移行した際、銀行における経験が大いに役立ちました。つまりキャッシュフロー・リスクを考えるについても、その背後にある数多くの企業のリスクがキャッシュフロー・リスクに影響を与える。またキャッシュフロー・リスク対策を考える に当たっては、企業全体のリスク管理体制が大きく影響する等々のことは、企業の資金繰りのリスクを 検討する場合と全く同じことでした。銀行時代、常に『企業全体を見て考えていた経験』は非常に大事 なことだったと改めて痛感されました。私はこれを 「経営的視点」と呼びたいと思います。 6 月 20 日に公表された、東京電力の「福島原子 力事故調査報告書」を読みますと、例えば、最も 問題となっている、 「津波の高さの評価」について、 以下のように書かれています。

『当初、小名浜港で観測された既往最大の潮位として、昭和 35年のチリ地震津波による潮位 (O.P.+3.122 m)を設計条件とした。国の審査においても、この潮位により「安全性は十分確保し得るものと認める」として原子炉設置許可を取得してい る。設置許可申請書に記載されているこの津波の高さについては、現状でも変更されていない。

当社は津波評価技術に基づく津波評価を行うとともに、必要な対策を実施し、平成 14 年3月に国へ 報告し確認を受けた。その後も、確立された最新の知見に基づき津波の高さを評価してきた』 さらに、貞観津波の波源モデルによる試し計算と津波堆積物調査については以下のような文章になっています。

『津波堆積物調査の結果、福島県南部では津波堆積物を確認できず。調査結果と試し計算に使用した波源モデル案で整合しない点があることが判明したことから、貞観津波の波源確定のためには、さらなる調査・研究が必要と考えた。

なお、今回の地震は、地震本部の見解に基づく地震でも、貞観地震でもなく、より広範囲を震源域とする巨大な地震であったことが判明している』 『これまでの原子力発電所における事故への備えは、今般の津波による設備の機能喪失に対応できないものであった。津波の想定高さについては、その時々の最新知見を踏まえて対策を施す努力をしてきた。この津波の高さ想定では、自然現象である津 波の不確かさを考慮していたものの、想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず、 事故の発生そのものを防ぐことができなかった。 このように津波想定については結果的に甘さがあっ たと言わざるを得ず、津波に対する備えが不十分で あったことが今回の事故の根本的な原因である』と淡々と記述されています。

 私は津波の専門家ではありませんが、報告書の記述を読むと、色々なデータから、現在想定している以上の高さの津波が福島原子力発電所を襲う可能性 があるかもしれないと考えるのが普通では無かったかと思われます。結果論かも知れませんが、これだけの事故が発生した後の原子力発電所の事業者として、 『想定した津波高さを上回る津波の発生までは 発想することができず』と言うだけでそのことに対 する深刻な反省が無くても良いものかと思いました。

リスクマネジメントの実践に際し、色々な事象から、将来起こるであろうリスクを想定し評価する場合、想定の内容はリスクマネジメントの担当者によって大きく変わってきます(リスクマネジメント の参考書にはこういったことも全く書いてありませ ん) 。

 私はリスクマネジャーとしての能力の重要な部分の1つは、企業にとって最も重要なリスクは何かを想定し、それを評価し、対策を講じることだと思ます。本格推理小説における名探偵と同じような論 理力・構成力・イマジネーションが求められます。 単独のリスクでもそうですが、いくつかのリスクが絡み合って大きなリスクになるような場合は特にこうした能力が必要です。

 東京電力のトップ、リスク管理部門、原子力発電部門のすべてにわたって今般の津波の想定が発想できなかった(しなかった?)ことについて、他人事のような記述しか無いことは、大きな問題だと思い ます。

 2011 年 12 月 26 日に公表された畑村洋太郎氏・ 柳田邦男氏等の「東京電力福島原子力発電所におけ る事故調査・検証委員会」の中間報告書には、『何 かを計画、立案、実行するとき、想定なしにこれらを行うことはできない。したがって、想定すること自体は必ずやらなければならない。しかし、それと同時に、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。たとえどんなに発生の確率が低い事象で あっても、 「あり得ることは起こる」と考えるべきである。発生確率が低いからといって、無視してい いわけではない。起こり得ることを考えず、現実にそれが起こったときに、確率が低かったから仕方がないと考えるのは適切な対応ではない。確率が低い 場合でも、もし起きたら取り返しのつかない事態が 起きる場合には、そのような事態にならない対応を 考えるべきである。

今回の事故は、 我々に対して、「想定外」の事柄にどのように対応すべきかについて重要な教訓を示している』と記述されています。 銀行時代に常に 『企業全体を見て考えていた経験』 においては、企業の採算を度外視するような判断を要求されてはいませんでした。

東京電力の福島原子力発電所に対する津波対策は、可能性も低く、費用も多額になるので採算面から取り上げられなかったのかも知れません。

しかし、 万一現在想定している以上の高さの津波が発生した場合に、 「電源の喪失なども含め福島原子力発電所はどうなるのか、その結果は東京電力の事業継続に どのような影響を与えるのか」をどうして深刻に考えてみなかったのか。福島原子力発電所に取って重要なリスクなのか。巷(こう)間言われる安全神話の呪縛があったとしても、それを評価し、対策を講 じるについて優れた論理力・構成力・イマジネーションをもった人は誰もいなかったのでしょうか。もしいても組織の論理で潰されるとすれば、前号にも書きましたように、わが国大企業の組織・人材育成計 画の根本的問題ではないでしょうか。

6 月 29 日の朝日新聞 19 面の、原子力委員会の近 藤駿介委員長のインタビュー記事で「事実は何よりも雄弁です。専門家として、とことん突き詰められなかったことを深く反省しています。 (中略)日本 の過酷事故対策は詰めが甘かった。悪い時にはさら に悪いことが起こると考えるのが、事故対応を考える人間の基本。それが現場でどこまで貫徹されて いたのか」と語っておられます。 「東京電力の事故調査報告書」のトーンとは大きな差があります。本報告書は東京電力旧体制下の最後の主張だと思います。トップは交替しましたが、このままでは東京電力の前途は真っ暗だと思います。