軍部が<言論の自由>を奪った暗黒時代
昭和初期の<軍部、戦争、報道>

高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2019/01/07
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
言論の自由は民主主義の根幹である。言論の自由への軍部の介入という昭和初期の暗黒時代を、朝日新聞(東京・大阪本社)の報道ぶりを中心に検証してみる。「新聞と『昭和』」(朝日文庫)が最良の文献の一つであり、張作霖爆殺事件以降の言論弾圧を取り上げてみたい。既によく知られた史実も多いが、今日の言論の自由の問題を考えるよすがともしたい。同書を参考にし、一部引用する。
北京の故宮博物院の西隣に、ベンガラ色(赤色)の高い壁で囲まれ、市民や観光客の立ち入りを拒む広大な一角がある。中国共産党総書記や首相が執務する現代中国の政治中枢「中南海」だ。
90年ほど前、満州(中国東北部)から進出してきた奉天派軍閥・張作霖(1875~1928)も、ここに陸海軍大元帥府を置いて北京政府を組織した。だが「中南海の主」となって1年余りで撤退を余儀なくされる。昭和3年(1928)6月2日夜から3日未明にかけて、大元帥府から続々と車が走り出た。その1台に、蒋介石率いる国民党の北伐軍との対決を断念し、満州の奉天(現瀋陽)に撤収する最高首脳張作霖が乗っていた。北京駅では兵士や武器、家財を満載した列車が次々に出発していた。
「支那統一の夢破れて、去り行く敗残の王者、北京脱出の張作霖氏」。4日付の朝日新聞朝刊は、張一行の北京脱出を詳しく報じた(以下引用文は原則として現代語表記とする)。
この慌ただしいホームの光景を、じっと観察する日本軍将校がいた。奉天までの要所にも人員が配置され、日本軍は途中駅の発着時間などの運行状況を逐一把握していた。張作霖を列車ごと爆破し、国民党の仕業に見せかける。そんな<謀略のシナリオ>を描いて実行したのは、満州駐留の日本陸軍(関東軍)の高級参謀・河本大作大佐だ。大規模な武力衝突を誘発させ、満州の直接統治を強める狙いだった。
4日午前5時25分。京奉線の終着駅を目前にした特別列車が、南満州鉄道(満鉄)の陸橋をくぐった瞬間、大音響とともに爆発が起きた。
その日発行の大阪朝日夕刊は1面トップの見出しで「南軍(国民党軍)の便衣隊(ゲリラ部隊)、張作霖氏の列車を爆破」と決めつけ、記事でも「南軍の便衣隊の仕業なることが判明した」と断定した。東京朝日も国民党軍の決行を強くにおわせた。関東軍は事件後、国民党軍の犯行との見解を示していた。記事はこれと軌を一にしていた(言うまでもなく誤報である)。
事件当日発行の5日付東京朝日夕刊には、「事件を日本の陰謀となし、奉天の日支間雲行嫌悪」という奉天特派員の記事が4段見出しで載った。6日付夕刊では「爆発現場検証に日支意見合わず」と、日中の食い違いを指摘した。6日付大阪朝日朝刊では「対日反感たかまる」との続報を載せ、「支那側において…日本人の所為なりとの風説が流布され…一般民衆や軍隊はもとより官憲にいたるまで一人としてこれを妄信せざるものなく」と報じている。しかし、日本側の謀略の可能性に触れる一連の記事は、事件後数日で紙面から姿を消してしまう。新聞に外から圧力が加わった。
列車爆破で重傷を負った張作霖は、奉天城内の私邸に運び込まれ、生死は極秘にされた。
朝日新聞の奉天特派員大井二郎は張の息子の張学良と親交があった。事件から9日後の6月13日、大井は学良との会見に成功した。大井が弔意を述べると、学良は父が爆破当日に死去したことを認めた。大井は「張作霖氏は遭遇当日に死亡」とスクープした。そんな敏腕な大井が、爆破事件への関東軍の関与に全く感づかなかったとは考えにくい。なぜ大井は真相を追及しなかったか。一つは、言論統制である。
内務省や満州の関東庁による言論統制を記録した昭和9年(1934)7月10日付の「新聞記事差止対照表」には、張作霖事件への報道規制として次の記述がある。
「張作霖の死亡と帝国人民との間に何らかの関係あるが如く揣摩(しま)せる記事を往々新聞紙に散見せらるる処なるが、…日支国交上重大なる支障を生ずる虞(おそれ)あり…此の種の流言浮説を掲載せざる事」。こうした差止事項を関東庁は事件の2日後に最も厳しい「示達」の形で出している。大井はその後の関連記事でも事件自体には不自然なほど触れていない。言論統制の監視下にあったためと考えられる。しかし、沈黙の理由はそれだけではないようだ。
防衛省防衛研究所図書館の「張作霖爆死事件に関する外交文書」の中に、昭和3年(1928)6月8日付で林久治郎・奉天総領事から田中義一外相(首相兼務)に宛てた文書がある。張作霖事件の際の新聞記者らの姿勢を報告している。
「邦人新聞記者等の間には爆声暁風を衝(つ)いて鼓膜を打つや『ははー遣(や)ったな』と感じたる者一、二に止まらざる模様にて爾来(じらい)邦人側の内に之を以って邦人側の計画或いは満鉄・陸軍一部の計画あるにあらずやと考えるに至れるも事外交上の一大事なるを以て容易に口外すべからずとなし居る感あるは事実なり」
記者らは、爆破が日本側の謀略と感づきながら、対中関係や日本の国際的立場を考え、真相の公表を自主規制した、というのだ。実は、事件の真相は直後から漏れ始めていた。
新聞も真相を知り得る立場にあった。
「張作霖の列車爆破事件の日支共同調査はいまだ公表していないが、外人方面の調べによれば明らかに日本のある団体の行為であって陸軍がこれに便宜を与えたものである」とするイギリス人記者シンプソンの談話を、上海の外国語新聞や中国紙が載せている―。そんな記事が、上海特派員発で同年8月16日付の東京朝日新聞朝刊に載った。外国紙の内容を紹介する形で、日本軍に対する疑惑の存在を伝えようとする記事だ。ただし、シンプソンについては、「排日記者として定評のある」と形容し、距離をとっている。この記事以降、朝日の張作霖事件に関する報道は下火になる。圧力に屈したのだろう。新聞がこの事件を再び大きく報じるのは、野党民政党が事を「満州某重大事件」と呼んで、政友会内閣に揺さぶりを始める昭和3年12月以降のことだ。
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