2019/01/07
安心、それが最大の敵だ

<満州某重大事件>との隠ぺい呼称
張作霖が爆殺されてから半年経った。事件は奇妙な名前で呼ばれ始めた。「満州某重大事件」。東京朝日新聞に初めて「満州の某事件」という見出しが登場したのは、事件の年の12月25日付夕刊だった。田中義一首相が外務政務次官の森恪(つとむ)らと会って「民政党が政府攻撃の重点とする満州の某重大事件に関し特に意見を交換」したことを伝える記事だ。
張作霖事件が日本側の謀略だと知った野党の民政党は、24日に召集された第56回帝国議会に臨むに当たり、「暴露戦術」もちらつかせ倒閣をうかがった。年が明けて昭和4年(1929)1月22日、田中は民政党総裁の浜口雄幸らに申し入れた。
「いわゆる満州における重大事件は国際関係に鑑(かんが)み国家のため、この際議場の問題とされぬよう切に希望する…御質問ありとするも政府は…調査中と言う外何ともお答えする事は出来ぬ」(23日付夕刊)
一方、民政党の浜口も、真相暴露が国際社会で日本に不利益をもたらす影響を考えざるを得なかった。真相を明らかにする方向ではなく、倒閣の揺さぶりの道具に使う形になった。
与野党ともに真相究明に及び腰だった。
そこで登場したのが、「満州某重大事件」という持って回った言い回しだった。新聞は与野党の煮え切らないやりとりを鋭く突いた。東京朝日は「早く事を明々白々の内に公表して、内外の疑惑を解くべし。その上で責任が無ければよし、責任あらば責任の所在を明らかにして遅くはないのである」(5月15日社説)。
だが新聞はそこまでで筆を止めた。政府による言論統制に加えて、報道機関として対外関係への配慮もあったのだろう。自ら真相を調べて報じることはなかった。
天皇は真相を知っていた
昭和天皇は張作霖爆殺の真相を知っていた。「この事件の主謀者は河本大作大佐である、田中(義一)総理は最初私に対し、この事件は甚だ遺憾な事で、・・・河本を処罰し、支那に対しては遺憾の意を表する積りである、という事であった」(「昭和天皇独白録」)。
田中首相は当初、昭和天皇にかなり率直に報告し、処罰も覚悟していた。だが有力閣僚や陸軍の強い反対で、姿勢を後退させる。
「田中は再び私の処にやってきて、この問題はうやむやの中に葬りたいと言う事であった。…私は田中に対し、それでは前と話が違うではないか、辞表を出してはどうかと強い語気で言った」(同前)。
昭和天皇の信を失い、田中内閣は昭和4年7月2日、総辞職する。だが事件そのものは結局うやむやにされた。
「満州某重大事件の解決に関しては政府及び軍部においても苦心し・・・事件の内容はこれを発表せず、ただ責任者処罰だけは御裁可を仰ぎ1日付をもって左の如く発表した」(7月1日発行の2日付東京朝日夕刊)
張本人・河本は軍法会議を免れ、警備上の不備を理由に停職となっただけであった。謀略を敢行しても処罰されない。その事実は、軍人が独断専行を強める一因になった。
張作霖事件から3年後の昭和6年(1931)9月18日。その現場から数キロ先の柳条湖で、日本が経営する満鉄線が爆破された。関東軍は「中国側の仕業」として、満州各地を占領した。首謀者は2人の関東軍参謀だった。河本の後任の板垣征四郎と石原莞爾である。だが謀略の全容が明らかになるのは戦後のことだ。当時の若槻礼次郎内閣は「不拡大方針」を表明した。だが関東軍は兵を進め、朝鮮駐屯の日本軍も同月21日、独断で満州に入った。ここが歴史の分かれ目だったが、閣議も軍事行動を認めてしまった。朝日も社論を転換した。軍が独断で動き、政府が追認する。新聞も謀略を疑いつつ追認に加わる。張作霖事件でも、満州事変でも、その構図が繰り返された。
- keyword
- 安心、それが最大の敵だ
- 張作霖
- 満州
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
-
入居ビルの耐震性から考える初動対策退避場所への移動を踏まえたマニュアル作成
押入れ産業は、「大地震時の初動マニュアル」を完成させた。リスクの把握からスタートし、現実的かつ実践的な災害対策を模索。ビルの耐震性を踏まえて2つの避難パターンを盛り込んだ。防災備蓄品を整備し、各種訓練を実施。社内説明会を繰り返し開催し、防災意識の向上に取り組むなど着実な進展をみせている。
2025/06/13
-
「保険」の枠を超え災害対応の高度化をけん引
東京海上グループが掲げる「防災・減災ソリューション」を担う事業会社。災害対応のあらゆるフェーズと原因に一気通貫の付加価値を提供するとし、サプライチェーンリスクの可視化など、すでに複数のサービス提供を開始しています。事業スタートの背景、アプローチの特徴や強み、目指すゴールイメージを聞きました。
2025/06/11
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/06/10
-
その瞬間、あなたは動けますか? 全社を挙げた防災プロジェクトが始動
遠州鉄道株式会社総務部防災担当課長の吉澤弘典は、全社的なAI活用の模索が進む中で、社員の防災意識をより実践的かつ自分ごととして考えさせるための手段として訓練用のAIプロンプトを考案した。その効果は如何に!
2025/06/10
-
-
緊迫のカシミール軍事衝突の背景と核リスク
4月22日にインド北部のカシミール地方で起こったテロ事件を受け、インドは5月7日にパキスタン領内にあるテロリストの施設を攻撃したと発表した。パキスタン軍は報復として、インド軍の複数の軍事施設などを攻撃。双方の軍事行動は拡大した。なぜ、インドとパキスタンは軍事衝突を起こしたのか。核兵器を保有する両国の衝突で懸念されたのは核リスクの高まりだ。両国に詳しい防衛省防衛研究所の主任研究官である栗田真広氏に聞いた。
2025/06/09
-
危険国で事業展開を可能にするリスク管理
世界各国で石油、化学、発電などのプラント建設を手がける東洋エンジニアリング(千葉市美浜区、細井栄治取締役社長)。グローバルに事業を展開する同社では、従業員の安全を最優先に考え、厳格な安全管理体制を整えている。2021年、過去に従業員を失った経験から設置した海外安全対策室を発展的に解消し、危機管理室を設立。ハード、ソフト対策の両面から従業員を守るため、日夜、注力している。
2025/06/06
-
福祉施設の使命を果たすためのBCPを地域ぐるみで展開災害に強い人づくりが社会を変える
栃木県の社会福祉法人パステルは、利用者約430人の安全確保と福祉避難所としての使命、そして災害後も途切れない雇用責任を果たすため、現在BCP改革を本格的に推進している。グループホームや障害者支援施設、障害児通所支援事業所、さらには桑畑・レストラン・工房・農園などといった多機能型事業所を抱え、地域ぐるみで「働く・暮らす・つながる」を支えてきた同法人にとって、BCPは“災害に強い人づくり”を軸にした次の挑戦となっている。
2025/06/06
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方