関東大震災と嘉納の対応

大正12年(1923)9月1日午前11時58分、神奈川県相模湾北部を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が発生。激震が東京・横浜を直撃した。昼時だったため、各家庭では火を使って昼食の準備をしていた。地震発生直後から横浜や東京下町を中心に各地で火災が発生し、東京市(当時)と横浜市の死者・行方不明者は10万5000人にも上った。震災は関東各地にも及んだ。被害総額は、当時の国家予算の1年4カ月分にものぼった。デマに煽られた自警団らによる朝鮮人・社会主義者虐殺も忘れてはなるまい。

震災当日、嘉納治五郎は樺太(サハリン)に出張中だった。柔道や講道館文化会の活動の最中だったが、急いで帰京した。彼は講道館をすぐさま開放して被災者を収容している。講道館門弟の富田常次郎(東京高等師範学校の柔道教師)が自宅の倒壊により下敷きになったものの、自力でがれきから脱出しことなきを得た。

この大惨事に対し、大日本体育協会(嘉納創設、本部は東京高等師範学校校長室)は、9月30日に帝国ホテルで理事会と常務委員会を開き、嘉納名誉会長を座長として次のことを決議した。

1.全日本選手権競技会の件。
大震災後復興に全力を尽くすべき時に国民の士気を鼓舞するため、最も質素に東京において11月中に選手権大会を開く。
2.国際オリンピック大会に代表選手を派遣すること。
明年の夏、パリにて第8回国際オリンピック大会が開催されるについて、万難を排して特に優秀なる競技者及び指導者を選考して派遣すること。この決定に従って今秋第1次予選競技会を行い、明春4月中旬第2次予選会を東京にて開催すること。
3.本会を財団組織となすこと。
三井、三菱及び岸会長等の出資を基本として財団法人を組織すること。
4.雑誌は休刊、年度発行を見合わせること。
(具体的内容省略)
5.新東京に計画中の公園内に競技場設備を建議すること。
復興事業中に運動競技の諸設備を加えること並びに右に関して本会より推薦する役員を計画委員に加えることを建議する。
6.(省略)

1、2、5がスポーツによる復興に関する内容だ。これに基づいて翌10月1日、「第8回国際オリンピック大会参加」の宣言文を大日本体育協会は発表する。

そこには、「翌年7月にパリ・オリンピックに選手を送る計画はすでに一般に知られているところであり、大震災によってこの計画を放棄するのは遺憾だ」「スポーツ界の将来の発展のため、特に優秀な選手と指導者に限って派遣したい」と書かれてる(日本体育協会編「日本体育協会五十年史」)。

「それまで積み上げてきたスポーツ界の進歩を止めるべきではない」「海外に日本国民の復興の意気を示す」という観点から、震災直後のオリンピックへの選手派遣は決定された。嘉納の主導で大日本体育協会が発表したこれらの提案は、果たしてそのまま実行されただろうか。結論から言うと、すべて実行されたのである。(真田教授の指摘)。