目標を上回る再稼働

本社が事業部ごとのBCPで定めているフィルム事業の「目標復旧時間」は1カ月。インフラの復旧状況によっても異なるが、大まかな目安として設定している。顧客には、在庫や、神奈川と静岡工場での代替生産により製品を届ける計画にしているが、富士フイルム九州の生産能力のすべてを補うことはできないため、早期復旧戦略を組み合わせ、顧客のニーズなどを鑑み、必要なラインから復旧させることにしている。

現地の災害対策本部では、対策本部と本社から派遣された3人の先遣隊が中心となり、18日には復旧基本計画案をまとめ、19日に正式に決定した。

その間も本社からは追加の応援要員が派遣され、必要な施工会社からも人材を集めた。最大で1日200人体制の支援体制が整えられた。

人材の交通手段や宿泊先を調整したり、送られて来た物資を仕分けするロジスティックに優れたスタッフも本社側が選定して送ってくれた。「こうした作業を現地の従業員でやると、肝心な復旧作業の手が止まってしまう」と富士フイルム九州執行役員の鎌田光郎氏は語る。

現地スタッフは工場の再開に向け集中し、その中で困ったことは本部側に要請し、必要な支援を受けられる体制が構築されていた。

電気は16日朝には復旧していたが、水がしばらく濁る状況が続いた。その間、設備の復旧を進め、BCPの目標復旧時間を大幅に上回る再開を達成した。4月24日に試験的にラインを再稼働させ、4月30日には、地震発生による全ライン停機後、最初となる製品が製造された。4月19日に正式決定した復旧基本計画よりもさらに5日早かった。その後もラインを次々に再稼働させ5月22日には完全復旧している。

社員へのサポート

社員の多くは5月中に普通の生活を取り戻した。富士フイルム本社総務部統括マネージャーの井瀬純氏は、「自らが被災しながらも復旧に取り組んでいた従業員の皆さんに対し、本社としてもできる限りの支援を行いたいと考えた」と話す。

工場では、従業員へのサポートとして、食堂での昼食を5月8日まで施工会社も含め全員に無料で提供したほか、特別休暇の付与、遅刻・早退・外出の許可、生活支援物質の配布などを行った。ただし、井瀬氏は「今回、従業員の支援策はあらかじめ用意しており、必要な支援をその都度実施したが、これほど重大な被害を想定した支援策は用意していなかった。例えば、家屋が崩壊してしまったような社員に、どんなサポートをすべきなのか、といったところまで、しっかりと想定して組んでおけば、早期の段階で従業員の方に提示することができる」と課題を挙げる。

本社CSR推進部コンプライアンス&リスク管理部統括マネージャーの水野裕介氏は「3.11のときは、情報収集にすごく手間取った。電話してもつながらない状況だった」と振り返る。

当時、東京六本木本社の総務部に勤務していた富士フイルム九州取締役執行役員の布留川朗氏は「東日本大震災の経験があるからこそ、ここでも繰り返し訓練に取り組んできた。熊本は地震災害が少ないと言われていたが、我々は常に災害に対する意識は持ち続けてきた」と話している。