2018/05/01
安心、それが最大の敵だ
突然の帰国
明治44年(1911)11月11日、青山はパナマ運河がほぼ80%完成したところで、突然60日間の長期休暇を取って帰国する。その後辞表を送るのである。
パナマ滞在は7年半に及んだ。アメリカ西海岸を中心に反日運動が高まり、その影響はパナマにまで及んだ。パナマ運河工事のような軍事施設建設に日本人技術者が参加するのは難しくなった。「青山はスパイだ」「アメリカ市民権のない者がパナマ運河建設に働くことはできない」などとの嫌がらせもあった。もとより青山はスパイなどではありえない。しかしながら、そこには外国人技術者の限界があった。バア教授や友人のラッセル・チャットフィールドらは、事態を深刻に受け止め「早く戻って来い。アメリカ市民権は取ってやる」と激励した。だが、青山は再びパナマには戻らなかった。辞表は明治45年(1912)1月9日、正式に受理された。青山の青春は終わった。33歳。
辞表はガトゥンにある大西洋工区の主任技師からICC理事長G・W・ゴーザルス大佐に出され受理された。青山の意表受理を伝える公式文書である。
日本人技術者青山士の評価は極めて高く、ゴーザルズ大佐宛ての辞表(上記)に添付されているカバリング・レター(説明書き)には、”His workmanship and conduct have been excellent”と明記されてある。最高の評価である。青山は「世紀の大土木事業」パナマ運河開削にジャングルの現地調査の段階から参加して、アメリカ技術陣から高い評価を受けた。その自信は並々ならぬものがあった。帰国後、日本を代表する土木技師の一人になって行くのである。
負け菊を 独見直す 夕かな
青山が後年自著「ぱなま運河の話」に書き込んだ一茶の句である。運河工事の完成を目前にしながらも、完成を見ずにやむなく帰国した青山の心境を語ったものであろう。パナマ運河は青山帰国の翌年、大正2年(1913)9月25日にほぼ完成して、一部船舶の通行が始まる。パナマの閘門式運河は、二重になったコンクリートの厚壁と水管による流水の移動を利用して船舶を昇降させ通過させる仕組みである。約60kmの運河の中には、大西洋側からガトゥン閘門、ペデロ・ミゲル・閘門、ミラ・フローレス閘門が構えている。運河工事で掘削した土砂量は2億4200立方ヤード、掘削した土砂を工事用貨車に積めば、その列が地球を3周半するという膨大なものである。
アメリカが投じた総工費は3億2500万ドル(当時)の巨額である。第一次世界大戦が勃発した翌年(1915)8月15日パナマ運河開通宣言が正式に出され、アメリカ汽船アンコン号は運河を初めて通過した。当時世界で最大級の船舶であったアメリカ海軍戦艦ペンシルベニアや豪華客船タイタニック号の通過が可能な設計であった。アメリカの国際航路は大幅に縮小された。ニューヨーク・横浜間はスエズ運河経由の航路に比べて3356海里(約6215km)も短縮された。パナマ運河の開通は世界の通商・交通史上、スエズ運河とともに革命的な進歩をもたらした。
昭和42年(1967)のジョンソン政権時代に、アメリカは運河地帯に対する主権を放棄することになった。両国政府は条約を結んで、運河地帯を両国の共同管理のもとに置き、パナマ政府への支払いを増額した。2000年にパナマ政府に全面返還された。
<付録>パナマ運河委員会の公式記録
<青山人事記録(英文)>
「Following is the service record of Mr.Akira Awoyama with the Isthmian Canal Commission:
Employed as Rodman at $75.00 per month ,June 1,1904.
Promoted to $83.33 per month, March 1,1905.
Promoted to Levelman at $100.00 per month, June 1,1905.
Promoted to $125.00 per month, July 16,1906.
Promoted to Transitman at $150.00 per month,April 1,1907.
Reduced to Levelman at $125.00 per month,November 23,1906.
Promoted to Transitman at $150.00 per month, March 1,1909.
Rating changed to Draftsman at $150.00 per month, March 1,1910.
Promoted to $170.00 per month,September 1,1910.
Resignation accepted to become effective January 9,1912.
His workmanship and conduct have been excellent.」
「<訳>1904年6月1日、月給75ドルで測量員に採用。
1905年3月1日、月給83.33ドルに昇給。
1905年6月1日、測量技師補に昇進、月給100ドル。
1906年7月16日、月給125ドルに昇給。
1907年4月1日、測量技師に昇格、月給150ドル
1908年11月23日、測量技師補に降格、月給125ドル。
1909年3月1日、設計技師に昇格、月給150ドル。
1910年9月1日、月給175ドルに昇給。
1912年1月9日、辞表を正式に受理。
青山の(技術者としての)技術力と仕事ぶりはすばらしいものであった」
唯一人の日本人土木技術者青山士が、年ごとに昇進していった事実がよくわかる。外国人技術者として類まれなことであろう。
(参考文献:拙書「技師 青山士」鹿島出版会、筑波大学附属図書館資料)
(つづく)
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