大津波の襲来(釜石市、国土交通省提供)

遠野市の沿岸被災地後方支援

東日本大震災の際、岩手県遠野市(遠野盆地の中心、柳田国男の「遠野物語」で知られる。人口3万1000人)が取り組んだ被災地後方支援は、被災地救援のあり方に重要な示唆をあたえるものであった。遠野市長・本田敏秋氏が市町村長防災特別セミナーで行った講演「遠野市の沿岸被災地後方支援~『縁』が結ぶ復興への『絆』~」(アカデミアvol103掲載)から適宜引用したい。

<訓練の成果が発揮される>
「東日本大震災の地震発生から11時間後、12日の午前1時40分、遠野市災害対策本部に一人の男性が駆け込みました。『大槌高校に500人が避難している。水も食料もまったくない。なんとか手を貸してほしい』。彼は被災地から遠野まで移動してSOSを発したのです。消防職員が物資を調達し午前4時50分に現地に向かいました。職員の第一報は『言葉になりません』の一言でした」。

「遠野市では市内50カ所に避難所を開設、2000人以上の避難市民を収容しました。電気は停電しており、そして寒かった。やがて訓練どおり、陸上自衛隊の車両、海上自衛隊の大型ヘリなどが続々と集結しました。大阪市消防局や兵庫県、岡山県からの消防車、沖縄県からは医療隊がやってきました。市民による炊き出しが始まり、高校生による支援物資の仕分けが行われ、毎朝、市役所職員と市民ボランティアによる救援隊が被災地に行く。職員は朝会、夜の集会で情報を共有しました。全国の自治体からは救援物資、資金の提供、職員の派遣など多くのご協力・ご支援をいただきました」。

「簡単に数字だけ紹介しますと、救援物資を提供いただいた自治体44、支援金・寄付金1億6000万円、コメ6400袋(1袋10Kg)、水・飲料水12万8000本(1本2リットル)、衣料・寝具17万8000枚、食料16万6000箱です。
一つのエピソードを紹介します。3月16日、釜石市の野田市長さんから電話が入って、犠牲者の火葬を打診されました。当市の火葬施設能力は1日6ご遺体です。電話越しに聞こえてくる話では、たいへんな数でした。受け入れたかったのですが、現実的に無理だとしか言えませんでした。しかし、5月の連休前までは犠牲者の方々を優先して4ご遺体まで受け入れる仕組みを整えました」。

「野田市長から打診を受けた日の夕方でした。県からあるファクスが入りました。内容は、災害救助法に基づき火葬料は県が負担しますというものでした。私は、今、料金のことを知らせる書類を作っている場合じゃないだろうと思いました。被災現場では、法律も制度も関係なく瞬時に判断して対処している。現に釜石市では土葬も視野に入れた遺体への対応に迫られていた。犠牲になった方々を丁寧に火葬したいという声に、県内市町村や県外自治体に打診して、いちはやくコーディネートするのが今の県の仕事じゃないかと強く思いました」。

「私があえてこんな話をしたのは、被災現場の意識と後方支援する自治体の意識との間にズレがあることを知ってもらいたいことと、有効な自治体ネットワークを構築して後方支援する県の役割をみなさまにも自覚していただきたいからです。これと類似するようなエピソードはまだまだいっぱいあります」。

<被災と向き合う難しさ>
「被災者と向き合う難しさを知っていただくため、別のエピソードをお話します。去年の暮れ、大槌町で生活していた70歳くらいの女性とお話しする機会がありました。彼女はご主人を亡くされた出来事をとつとつと語り始めました。ご夫婦2人は当初、高台に逃げて助かったそうです。しかし、ご主人は隣の家のおばあちゃんが気になって家に戻ったそうです。やがて隣のおばあちゃんをおぶって高台に向かったのですが、その途中で津波が押し寄せて行方不明になってしまった。彼女は『うちの人は立派だ』と言っていました。人の命を考えて行動したのだからと、自分を納得させているようでした。彼女には娘さんがいて、がんばろうと励ましてくれるそうです。しかし、その娘さんは夜、仮設住宅で泣いているそうです。実はそのお嬢さんは、結婚を予定していた相手を津波で亡くしているのだそうです。そんな話をとつとつと涙も流さずされました」。

「昨年の暮れ、陸前高田市によく知っている30歳代の男性がいて、その彼と会うことができました。すごく元気だったので『元気そうだね、よかった』と声を掛けたのですが、実は奥さんと二人のお子さんを亡くし、仮設住宅で一人で生活をしているという。精一杯の明るさで、哀しみを跳ね返そうとしていたのです。さまざまな哀しみを抱えながらも、被災地のみなさまは黙々と復興に向けて立ち上がろうとがんばっています。そんな皆さまを前に、どう向き合ったらいいのか、どう距離感を取るのかは、正直難しい。しかし、向き合わないわけにはいかない」。

「復興計画はできた、予算も付いた、だから一段落というわけにはいかないのです。自治体職員のなかには家族・親族を失ったり、職員自身が犠牲になったケースも多い。大槌町では、加藤町長ほか職員の多くが、津波に襲われました。犠牲者のうち約30人は課長級の職員でした。陸前高田市では庁舎がすべて破壊され、100人近い職員が命を落としています。こうなると、行政機能は失われてしまいますから、つながりのある市町村のバックアップが必要です」。

「後方支援を行う市町村の役割はより大きいものがあります。しかし、これまでの災害関連の法体系というのは、国、県、市町村をタテの流れで成り立っているのです。その弊害は大きいと思います。例えば被災地に仮設住宅を建設するケースでは、国は県に早期着工を促す。県は被災地の市町村から候補地の情報を得ることになりますが、台帳もなければ人も失われたその被災地の市町村へ、『地権者が何人なのか』『農地法の網をかぶっているのか』と問い合わせたりするわけです。法体系に縛られてしまって、いつまでたっても事が進まない。当然、スピード感がない。結果として仮設住宅の対応が遅れてしまう。人の命にかかわる緊急時なのですから、被災地に対し、『心配するな、法律はいい、財源も心配するな、とにかくいい場所があったら建てろ』、というような対処がなぜできないのでしょうか」。

「被災地からの『要請を』前提にした災害救助法にも問題があります。そもそも庁舎が被災し機能不全なのですから、国や県との情報のやりとりができない状況なのです。ですから法と手続きを超えた対応、すなわち支援自治体による水平連携によるヨコのつながりが重要になる。被災地からの要請を待たずに現地に駆け、その地で自ら情報収集し適切な支援活動を展開することが重要だと思います」。

<検証を重ねて有効な防災支援体制へ>
「県と市町村のミスマッチはなぜ起きたのか、なぜ情報共有できなかったのか、という点はこれからひとつひとつ検証しなければならないと考えています。そのうえで、ヨコの連携を支える責任・権限・財源を踏まえた新しい仕組み、制度、場合によっては法律を作るべきでしょう。そうでなければ、犠牲になられた方々に申し訳ないではありませんか」。

「また、こうした試みは、もう一方においては、首都圏直下型、東海、東南海、南海といった連動型災害の危険性が非常に高まっている地域においても、減災や災害対応の一助になるものだと思います。一人でも二人でも救うという減災の発想を持ち、法と手続きを超えた対応をしていくべきなのです。実際、被災地の随所で、機能したところもあります。し尿やごみ処理にしろ、消防、福祉、住宅建設にしろ、権限を持っているのは市町村です。被災市町村に、いち早く給水車やバキュームカーや、福祉にかかわるマンパワーなどを送り込む。それを支えてくれたのは、“現場”を持っている全国の市町村でした。要請を待たずに被災地支援に駆けつけた市町村は多かった。自ら情報収集した市町村もかなりありました。
国があって、その下に県があり、さらにその下に市町村が位置する構造は確実に変わってきています。インターネットがそれを変えたと思っているのですが、私どものような小さい自治体でもネットから霞ヶ関の情報を取れる。その情報を消化するセンスと能力のある職員を抱えていれば、さまざまことをやれる時代になってきています」。

「ですから、ネットワーク連携で足らざる特性を補い合う仕組みこそ、今、市町村に最も求められているのです。遠野市の一例を紹介しますと、東京都武蔵野市とは25年以上、友好・交流関係にあり、ほか9つの自治体とも連携関係を構築しています。震災支援では、武蔵野市がその9つの自治体とすぐ連絡を取り合っていただき、遠野市に支援物資などを送れば被災地に届くことを周知していただきました。それが他の自治体や市民などにも広がったおかげで、こうして1年以上も後方支援活動ができているのです」。

「全国の市町村でもネットワークを活用して支援にかかわったケースは多いはずです。われわれ市町村は、ぼやかず、歎かず、挑戦を続け、県や国を動かしていこうではありませんか」。

災害時における後方支援の在り方をこれほど雄弁に語った発言を私は知らない。

参考文献:「俺たちが被災地で経験したこと、3.11 東日本大震災」(宮城県建設業協会発行)、「記憶を思いに、未来につなげる、震災復興5年の記録」(岩手県建設業協会発行)、「遠野市の沿岸被災地後方支援~『縁』が結ぶ復興への『絆』~」(アカデミアvol103)、遠野市資料、国土交通省資料。

(つづく)