2018/06/18
安心、それが最大の敵だ
フットボールを初めて紹介
「戸外遊戯法」で紹介されたフットボールの競技規則は、1863年に創設されたイングランド・フットボール協会(Football Association:FA)公認のいわゆる「FAルール」に準じたものである。競技規則の紹介に先立つ導入部分では、競技人数(11人)、ボール、勝敗の決め方、競技場など、フットボールに関する基本的な情報で、競技規則の前提として理解しておくべきことが簡単に記されている。サッカーに不可欠のオフサイド・ルールも記されている。注目すべきことは「演習者(選手)の人数を11名と定めながらも、これをいくらでも増加してよい」としている点、それに「各組を指揮し統率する首領を1名選ぶ」としている点である。これらは国際的な共通コードであるFAルールには見られなかった坪井による独自の記述である。競技者の多数化を図ったのは、小学校の校庭で大勢の児童が競技に参加する場合のための柔軟な対応であると考えられる。
「ゴール」を城壁の意としているのは誤りで境界線の意であるが、各チームに「首領」を置くことを考案してフットボールを「戦争ゲーム」「戦争ごっこ」のような発想で子供たちに分かりやすく説明しようとした工夫がうかがえる。「戸外遊戯法」は好評で、発刊から3年後の明治21年(1888)には「改正戸外遊戯法」が出版された。持ちやすいポッケトブック版である。同書ではオフサイド・ルールが削除されている。競技の分かりやすさや簡略化を目指したものであろう。
明治34年(1901)2月、坪井は文部省から派遣されて体操研究のためフランス、イギリス、ドイツの体育事情を視察した。49歳。留学期間は1年間であった。50歳近い教授の体操研究のための政府派遣留学は彼が初めてである。サッカーの心身両面に与える教育的価値を再認識し帰朝後の普及を心に誓うのであった。翌年5月、アメリカ経由で帰国した。帰国後の彼は「改正普通体操法」「女子運動法」「行進運動法」等を相次いで発表し、スポーツ啓発家の第一人者となった。イギリス視察で習得したアソシエーション式フットボール(ア式蹴球と略称)を東京高等師範の学生に直接指導し、秋季運動会で初めて正式に公開した。当時の状況を高等師範の校友会誌は次のように伝えている。
「坪井教授の懇篤周到なる指導と部員の燃ゆるが如き熱心により、今や頻(しき)りに西洋諸国の著作雑誌を研究し、之を我が国民の気質体格に斟酌(しんしゃく)し我が国に最も適当なる一式を案出せんと努めつつあれば吾人は早晩斯技発達の快報を耳にするの日あらん」と書き、坪井の熱心な指導ぶりを伝えている。当時の生徒であった中村覚之助を中心に高等師範蹴球部が部長坪井の指導を受け英語で書名を書いたしゃれた装丁の「アソシエーションフットボール」と題するスポーツ指導書を大日本図書会社から出版して全国の学校に購読を勧めた。
サッカーの普及に大きな寄与をしたのである。彼はイギリスから持ち帰ったピンポンも紹介し普及に努めている。当時は高等師範の他に国内ではサッカーチームがなかったので、試合相手はいつも在日の外国人チームであった。東京・築地明石町の居留地にいた外国人チームやイギリス大使館職員チームそれに横浜のヨゼフ・カレッジの生徒チームが相手だった。ヨゼフ・カレッジは少年チームだったので時には勝つこともあったが、他の外国人チームにはいつも大敗を喫した。
サッカー指導・普及をライフワークに
日本のサッカーはその後高等師範やそこで活躍した学生が教員(主に旧制中学や高校)となって指導を行い全国に広まった。東京都、埼玉県、神奈川県、静岡県、千葉県、京都府など、今日「サッカー王国」として知られる都府県は高等師範卒業生の熱心な指導のたまものなのである。(ちなみに明治期の国際サッカー試合の日本代表は高等師範チームだった)。
「日本に体操ということが始まってから、今日に至る迄、私は終始、体操に関係して居ります。なお今後も死ぬ迄、私は体操に従事する積りでございます。(中略)私は体操を以て、一生を終る積りでございます」(「京都府教育雑誌」第149号)。明治37年(1904)8月、京都府教育会の依頼によって行った講演の一部である。この年『体操発達史』を刊行している。
明治42年(1909)、坪井は東京高等師範・東京女子師範の教授を退職した。57歳。学校体育の近代化に貢献した坪井玄道は大正11年(1922)11月2日、70歳で病没し、スポーツ(中でもサッカー)をライフワークとした生涯を閉じた。坪井の功績を高く評価した一人が、東京高等師範校長を長年務めた講道館創始者(柔道家)嘉納治五郎で「近代日本サッカーの父」と讃えた。
参考文献:「中世以降の市川」(市川市立歴史博物館)、筑波大学教授山本英作教授・同後藤光将教授の論文「坪井玄道によるアソシエーションフットボールの日本的解釈」(「スポーツ史研究」第16号)、日本サッカー協会資料。
(つづく)
- keyword
- 安心、それが最大の敵だ
- サッカー
- 坪井玄道
- 日本サッカー協会
- 筑波大学
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
-
入居ビルの耐震性から考える初動対策退避場所への移動を踏まえたマニュアル作成
押入れ産業は、「大地震時の初動マニュアル」を完成させた。リスクの把握からスタートし、現実的かつ実践的な災害対策を模索。ビルの耐震性を踏まえて2つの避難パターンを盛り込んだ。防災備蓄品を整備し、各種訓練を実施。社内説明会を繰り返し開催し、防災意識の向上に取り組むなど着実な進展をみせている。
2025/06/13
-
「保険」の枠を超え災害対応の高度化をけん引
東京海上グループが掲げる「防災・減災ソリューション」を担う事業会社。災害対応のあらゆるフェーズと原因に一気通貫の付加価値を提供するとし、サプライチェーンリスクの可視化など、すでに複数のサービス提供を開始しています。事業スタートの背景、アプローチの特徴や強み、目指すゴールイメージを聞きました。
2025/06/11
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/06/10
-
その瞬間、あなたは動けますか? 全社を挙げた防災プロジェクトが始動
遠州鉄道株式会社総務部防災担当課長の吉澤弘典は、全社的なAI活用の模索が進む中で、社員の防災意識をより実践的かつ自分ごととして考えさせるための手段として訓練用のAIプロンプトを考案した。その効果は如何に!
2025/06/10
-
-
緊迫のカシミール軍事衝突の背景と核リスク
4月22日にインド北部のカシミール地方で起こったテロ事件を受け、インドは5月7日にパキスタン領内にあるテロリストの施設を攻撃したと発表した。パキスタン軍は報復として、インド軍の複数の軍事施設などを攻撃。双方の軍事行動は拡大した。なぜ、インドとパキスタンは軍事衝突を起こしたのか。核兵器を保有する両国の衝突で懸念されたのは核リスクの高まりだ。両国に詳しい防衛省防衛研究所の主任研究官である栗田真広氏に聞いた。
2025/06/09
-
危険国で事業展開を可能にするリスク管理
世界各国で石油、化学、発電などのプラント建設を手がける東洋エンジニアリング(千葉市美浜区、細井栄治取締役社長)。グローバルに事業を展開する同社では、従業員の安全を最優先に考え、厳格な安全管理体制を整えている。2021年、過去に従業員を失った経験から設置した海外安全対策室を発展的に解消し、危機管理室を設立。ハード、ソフト対策の両面から従業員を守るため、日夜、注力している。
2025/06/06
-
福祉施設の使命を果たすためのBCPを地域ぐるみで展開災害に強い人づくりが社会を変える
栃木県の社会福祉法人パステルは、利用者約430人の安全確保と福祉避難所としての使命、そして災害後も途切れない雇用責任を果たすため、現在BCP改革を本格的に推進している。グループホームや障害者支援施設、障害児通所支援事業所、さらには桑畑・レストラン・工房・農園などといった多機能型事業所を抱え、地域ぐるみで「働く・暮らす・つながる」を支えてきた同法人にとって、BCPは“災害に強い人づくり”を軸にした次の挑戦となっている。
2025/06/06
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方