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クリスマス・ブリザード

そしてやって来た。クリスマスの翌日、ニューヨーカーはニューヨークでは史上最大の雪嵐が交通をストップさせ、救急車を4フィートの吹き溜まりで動かなくさせるのを目撃した。2010年のクリスマス・ブリザードは18~24インチ、スタテン島の一部では29インチ、の雪を降らせ、風速60マイルの突風を吹かせた。降り始めたのは年間を通じて移動する人が最も多い1日である日曜日の朝である。日中一杯、長い夜の間も降った。

12月27日、月曜日の真夜中過ぎには本降りとなった。降雪強度は毎時2~3インチに高まり、ホワイトアウト(視界ゼロの猛吹雪)の状況となった。市には雪に閉じ込められた救急車やバス、乗り捨てられた自動車が道路をふさいでいるとの報告が寄せられ始めた。

夜の間に問題はさらに悪化した。立往生した救急車を救助するために派遣された牽引車やニューヨーク市消防局の車両もまた動かなくなってしまった。月曜日に太陽が昇ると、雪で渋滞した道路や除雪車の不足に対する苦情が市の全域から殺到した。

その朝、マイケル・ブルームバーグ市長は、マンハッタンのダウンタウンにあるがらんとした大きな衛生局のガレージの中にあわただしく設営された記者会見を前にして、幹部チームとの会合をもった。

通常は記者会見の前に、報道官と各局の長官が市長に数分間でトーキングポイントのリストを一通り説明する。しかし、その日は普通の日ではなかった。誰もが土曜の夜から働きどおしで、疲れ切っていた。市長はいつもよりは気難しく、みんな時間に追われていた。彼らはブリーフィングが適切になされるよう十分に押し進めることはしなかったので、市長はクライシスの重大さを理解しないまま演壇に登ることになった。

オーバーとマフラーにくるまれた市長は始めた。「昨日のブリザードは記録的なものだった。しかし状況は改善されている。ニューヨーカーのみなさん、がまんしてください」。用意された発言をした後、会場からの質問を促した。

「嵐によってニューヨーク市の緊急事態サービスがガタ落ちしている。救急車と消防車両は雪に閉じ込められて遅れがひどい」。WCBSテレビの尊敬された主席政治担当記者であるマーシャ・クレーマーが言った。それから市長に尋ねた。

「通りで人が死んでいるのですか?」

「人は死んでいる、ただ自然に」とブルームバーグは答えた。「救急車が行ったからといって、命が救えるということではない。科学はそれほどのものではない」。

演壇上の市長はずらりと並んだ局長たちを後ろに従えて防御的になっていた。激しい雪嵐への対応において市が直面している難題を説明するのではなく、道路の状況がいかにひどいかとその詳細を説明するのではなく、市がまだなしえていないこと、そしてそれをいつやろうとしているのかを語るのではなく、市長は悲劇のヒロインであるニューヨーカーのせいにしているように見えた。「世界の終わりではない」。「市は続いていく。大勢の人が休暇中である。誰もパニックに陥るいわれはない」。

これに続けて、ニューヨーカーは雪について不平を言うかわりに何をすべきかについてのアドバイスを述べた。「ブロードウェイは開いている。ニューヨーク市バレーのくるみ割り人形が上演中だ。みんな公園に行ってこの時間を家族とともに楽しむべきだ」。

これは怒りを買った。ニューヨーカーが市の路上で、身動きのできない救急車の中で死につつあるのに、市長はくるみ割り人形を見に行けというのだ。壁にもたれ、椅子にはまり込んでいた記者たちがぴんと起きた。耳の後ろから鉛筆を引き抜き、怒りに満ちた様子でメモを取り始める者もいた。

憤慨・恥辱・政治的報復の形で血が流れた。ブルームバーグの政権は立ち直るのに数カ月間を要した。

憤慨への近道は現実を否定することである
被災した人はパラレルな宇宙に囚われているが、あなたはそうではない。彼らはあなたが自分たちのために山々をも動かしてくれると期待しているが、これまでのところ彼らが見ているのはすぐ目の前にある問題の山だけである。あなたのように外部にいる人間からのコミュニケーションには極めて懐疑的である。あなたが言うことは全てワームホールを通るときに誤って伝えられてパラレルな宇宙の中でひどく反響する。あらゆる問題の全ての側面を見て、あなたが無視する側面に飛びつく。例えば疑念を取り除いて自信を取り戻させようとすることは、やりすぎると裏目にでる。あなたが“安全だ”と言えば言うほどそうではないのだと確信してしまう。君の責任ではないと強調すればするほど、そうなのだと思ってしまう。自信ありげに話せば話すほど、あなたへの信頼は少なくなる。彼らとともに前進する唯一の方法はワームホールの向こうへ旅をして彼らにコミットすることである。物理的に彼らの心情に入り込んだときのみ心を開いてあなたの話を聞き始める。そのときでさえ注意しなければならない。いつも、どこにいても、彼らの状況を親身に理解しているということを伝えなければならない。全てのメッセージには、彼らが見ているもの、感じていること、考えていること、経験していることの詳細な絵が含まれていなければならない。このようにして大事な人たちとの懸け橋を構築するのである。これが憤慨と闘って絆、信用と信頼の上に築かれた絆を創り出す方法である。それが絆を得るための唯一の方法であり、他の方法はない。

(続く)

翻訳:杉野文俊
この連載について http://www.risktaisaku.com/articles/-/15300