3000の河川を見守る人

女性向け月刊誌「新女苑」(昭和23年9月号)は作家竹森一男の青山訪問記「治水の父―3000の河川を見守る人―」を掲載した。第一章「彼の生涯は川との戦であった」で竹森は書く。

「日本の治水の父といわれる青山士(あきら)氏は、茶室風の書斎にすわって、竹垣に囲まれた十坪の菜園をじっと見つめている。生涯、川を愛し、川とたたかってきた歴史が、71歳の老翁のひとみに一瞬火花のように映るのである。50年というもの、此処、静岡県磐田市中泉御殿の家をはなれて、さすらいにも似た全国の河川を戦場とした生涯は終わりをつげた。いまは、やすらかな命の灯を、魂のふるさとにともして、日々うつろいゆく世界の荒波をみつめながら、父の残した古蒼な小庵にみちたりた余生を送っているのである。たずねてくる人もない。すでに白髪をいただくまで、ながい生涯を相共に歩んできた妻と、まだ幼い、中学生の長男との、つつましい身にしむ孤寂の生活である。三人の娘は、それぞれ音楽を求めて、嫁いでいった。道路ひとつへだてた寺院には、青山氏自身の墓碑銘がしずかに待っている。しかし彼は生きている。また、たとえ神が彼の魂を召すことがあっても、永遠をつらぬくきよき一すじの川の流れは、日本の治水の道を守るにちがいない」
「それまで青山氏は生きねばならない。インフレの波涛は彼の余生をおびやかしている。わずかな恩給をのり越えてひしめく生活苦は一歩も退こうとしない。治水の父は、たれも知らないところで、生活の波に呑まれようとしている。生あるかぎり、生きのび、じっと日本のゆくすえを追い、治水対策にやさしい眼をそそぐのである」
「ふりつづく初秋の雨にぬれそよぐ竹藪と菜園から、遠くはるかに想いを全国大小3000の河川に走らせ濁流にひしめく脆弱な堤防に愁いの眉をひそめる。若ければとんでいきたい。日本の河川は、山林の乱伐と治水の荒廃によって危険にさらされている」
「彼の生涯は川との戦いであった。川に憑かれていた。川を愛していた。さかまく濁流にずぶぬれになって、わめきたてる若い自分のすがたが莞爾(かんじ)として芝の美しい築堤に立って清流をみつめている。ジャングル地帯の測量。そして広大なパナマ運河の開削に従事している青年の弾力にとんだ日焼けした顔が浮かんだ。つば広の中折に白いワイシャツ、乗馬ズボンをきりりとはいて肩から円い水筒を吊りながら、ガトウン閘門の測量にあたっている」

竹森のインタビューに答えて青山は言う。

「治水にはいろいろと問題がるとしても、まず人の心を治めることだ。すぐれた先覚者たちの足跡がもうあとを絶ったとは思われぬ。今も民族の同じ血が受け継がれ流れているはずだ。そして流れるだろう」