サーチ・アンド・レスキューなら、本来、現場を静かにしてサイレント・タイムをつくり、災害現場をサーチしなくてはいけません。生存者がいるか、危険個所がないかをしっかり調べるのです。そのため、欧米では、災害救助犬が活躍しています。福知山線の現場では、野次馬とマスコミのヘリなどで音がかき消されていました。 

二重、三重の安全確認も重要です。1度だけでなく、常にバックアップをしながら再確認していくということです。実際、高圧電線の電流を切ってくれとお願いしたのに、そのことは忘れられていたし、対抗車両も止められていませんでした。再度、高圧電線に電流が流れてないことを確認するとか、近寄らないようにするとか、指揮官として部下の安全をどう守るかしっかり考えて対応することが重要です。 

現場の指揮命令系統もできていませんでした。消防と警察、医療が別々に行動をして、それぞれの調整ができていなかったのです。そして医療行為。重症患者は分散搬送して複数の病院で治療すべきだったのに、こうした知識も不十分で、医療機関が対応しきれずにパンクしてしまい、せっかく病院に運ばれても、そこで助けられない患者も出ました。被災者の中には、妊婦や子ども、外国人、耳が聞こえない人、しゃべれない人など、いわゆる災害弱者が含まれていることも想定して対応にあたらなくてはいけません。福知山線の事故でも妊婦がいました。無事救出できましたが、心の準備として、そうしたことを想定していなければいけないということです。 

Q5.岩手県ではどのように災害対応力を高めていかれたのですか? 
2008年に岩手医科大学付属病院に転勤し、その2カ月後の6月に起きたのが岩手・宮城内陸地震です。福知山線の事故を教訓に岩手で危機対応の標準化を導入しようと考えていた矢先のことでした。マグニチュードは7.2、震源地は県の南部で、山道を走っていたバスが転覆する事故が発生しました。 事故現場近くの病院には、DMATが集まりはじめていましたから、急いで駆けつけたのですが、集まったメンバーは、何も情報が入ってないことから、待機していました。 

災害対応にあたる人間は、対策本部に駆けつけたらやるべきことを、順序立てて常に頭の中に叩き込んでおく必要があります。医療関係者なら、まず、自分の病院の被災状況の確認。どのような被害があって、資機材や燃料がどのくらいあるのか。そして周辺の被災状況の確認。アクセスルートや通信、ライフラインの状況など。次に医療状況。運ばれてくる患者の予想数を関係機関に問い合わせる。他の病院の被災状況も調べ、最大自分の病院で何人対応できるかを確認する。このほか、どのような事態が起きているのか、(放射能、NBC化学兵器、生物兵器)の危険情報の確認も重要です。そして災害対策本部との連携・調整にあたらなくてはいけません。 

こうした基本的なことが、・岩手宮城内陸地震の当時は、できていなかったのです。そもそも、医療チームの本部が立ち上がっておらず、どの機関の誰に対して何を聞くのかということさえも整理されていませんでした。 

一方、県庁内でも当時は各組織が集まるような体制ではなく、医療班、自衛隊、消防、警察が、それぞれ離れた場所で別々に活動を展開しているような状態でした。  

災害対応では、初動を間違うと、すべてが後手、後手にまわってしまいます。いかに早く状況を評価し、戦略や目標を設定できるかが勝敗を決めます。そのためには、災害対応にあたる複数の組織を統率できる標準化された危機対応システムが不可欠です。その体制が構築されていなかった。 

医療チームについては、結局、僕が指揮を執り医療対策本部を立ち上げましたが、DMATの中には、本部の立ち上げ前に、消防無線もつながらない山の中に消防と一緒に入ってしまったチームがあり、その安全確保に対応しなければならないような状況でした。彼らは道の半分以上が崩れ落ちていて、余震で上からも石が落ちてくるような危険な場所を歩きながら捜索活動を行っていたのです。もし、彼らが被災していたら、それは名誉となったでしょうか。災害対応は自分の安全を確保した上で救助活動にあたることが大原則です。特に医者は、DMATの資格があったとしても災害現場の訓練を十分に受けているわけではありません。そのような人が、危険な災害現場に飛び込むことは、ハザードの中に、別のハザードを入れるようなものです。もし自分が被災したら二次災害を引き起こし、さらに災害対応を難しくすることを肝に命じなくてはいけません。 

唯一、功を奏したのは多重のバックアップ体制でした。転落事故現場から離れた場所にヘリが離着陸できる臨時へリポートが設置され、そこに運ばれてきた重症患者を近くの病院に搬送する計画でしたが、県の災害対策本部からは、医療本部がある病院に重症患者6人を搬入すると一方的に指示があり、DMATによるドクターカーでなんとか6人を搬送できたのですが、災害対策本部は大混乱しているので情報漏れが必ずあると思い、DMAT2チームを現場に待機させていました。予想は的中し、その後、何の連絡もなく自衛隊のヘリが傷病者を乗せてヘリポートに到着しました。さらに、胸から大量の出血をしていた1人の重症患者がいたので、ヘリで迅速に搬送することにしたのですが、頼んでおいた消防ヘリがいつになっても来ません。県庁に問い合わせても分からないということでした。これも万が一のために宮城県にいたドクターヘリをバックアップで待機させておいたことで、ぎりぎり搬送が間に合いました。 

現場は、消防も警察も自衛隊も医療も、一生懸命、頑張っているのですが、それを統率できる体制がなかったのです。この震災後、とにかく各組織を統制できる危機対応システムを構築しようと決意しました。