山元町の玄関口である、新装されたJR常磐線坂元駅(提供:高崎氏)

山元町:コンパクトな町、車による初の避難訓練

前回に続き、東北の復興現場の報告である。宮城県南端の山元町(人口1万2462人)は大津波により死者700人、行方不明者18人を出した。県仙台市以南では名取市に次ぐ犠牲者数である。同町は復興を機に、「コンパクトで持続可能なまちづくり」を目指し、分散していた集落を3つの新市街地に集約するまちづくりを進めていた。昨年10月、被災者の集団移転先となる2つの新市街地(つばめの杜地区、新坂元駅周辺地区)が完成して「まちびらき」の式典が行われた。その後、遺跡の出土で完成が遅れていた宮城病院周辺地区も住宅の引き渡しが行われて、すべての移転が完了した。同町も人口減となっており、商業施設などを誘致して人口減に歯止めをかけたい考えだ。

ところで、山元町では、大津波により多くの犠牲者が出た要因の一つとして被災者の逃げ遅れがあった、と分析した。従来、津波避難は徒歩が原則だが、高台が遠く高齢者の多い地域では車での避難がより現実的だ。事実、東日本大震災では車で逃げたという被災者が少なくない。だが避難途中渋滞に巻き込まれたり、駐車場のスペースが限られていて駐車待ちを強いられたりして、命を落とした方々も多い。津波に沖合まで運ばれた車が凶器となって沿岸部を襲うケースもあった。廃棄物となった車の無残な山はおなじみの光景である。

渋滞を防ぐため避難車の台数を抑え、いかに効率的に避難するかを模索するため、車を使った訓練に取り組んでいる自治体が出始めたが、その一つが山元町である。同町は平野部にあり沿岸の集落から高台まで1~3kmある。震災では車で避難した人が多く、渋滞のため車ごと流された命を落とした住民もいた。被災者のうち元の住居に戻った住民もおり、高齢者が多いことから、車に頼らざるを得ないのが実情である。そこで車を利用した避難訓練を計画したのである。

2013年8月、同町は東北大学災害科学国際研究所などと共同で、車を使った避難訓練を初めて行った。宮城県内では亘理(わたり)町に次いで2番目。大津波警報が発令されたことを想定し、海岸寄りの浜通り地区から内陸部の丘通りまでの車(一般車両や工事関係車両)による避難経路、および避難場所までの所要時間などを調査し、同町における車避難の課題検証・分析を行い、今後の防災体制の充実に役立てるのである。防災意識の高揚や普及・啓発にも役立てたいとしている。

訓練では、住民と復興工事の車両400台以上が参加した。沿岸から道路と高台の国道の交差点2カ所で最長400mの車列ができた。全体には車の流れは滞らなかった。避難完了は警報発令から約30分後で、「津波到着予想時刻」の約10分前だった。町は東北大学の協力で通行状況をカメラやヘリから調べ、参加率なども検証して避難路の整備などに生かす考えだ。東北大学の研究者は「実際の切迫した場面ではもっと車が集中する。お年寄りや障碍者を優先させ、乗り合いで台数を減らすなどのルールについて地域の話し合いを促したい」としている。

同町総務課危機管理班班長引地信夫氏に話をうかがった。

・車を使用したことの理由は、我が町は土地が平坦で津波襲来時は高台まで距離がある。高齢者等は逃げ遅れる可能性があるからである。
・当日は復興工事を実施している建設業者にも参加してもらった。
・この時東北大学では避難状況の調査として、住民アンケート調査や渋滞の状況を上空からヘリを飛ばし調査を実施した。
・車を使った訓練の意図は、高台まで距離があるのが一つと高台まで到達せずともある地点まで行けば、津波被害が免れるエリアがある。避難する際にその目標ラインを示すことで、車を使用しても分散したルートを選べば渋滞せず、かつ、被害を免れる。